桜色の恋


人 物


上川悠大(25)

岡田葉子(23)

岡田佐智子(55)葉子の母

岡田慎一(28) 葉子の兄

女性客(60)






○電車車内・窓際の席(朝)

   車内は観光客で賑わっている。

   春の訪れた古都奈良の風景を懐かしむかの

   ように眺める上川悠大(25)。

   満開に咲く桜が、風景と共に流れ去る。

JR奈良駅駅舎前・タクシー乗り場(朝)

   タクシーに乗り込む悠大。

   ドアを閉めて、走り出すタクシー。

○興福寺付近の道路(朝)

   興福寺・五十重塔が見える道路を軽快に走る

   タクシー。

○奈良市写真美術館・玄関前(朝)

   玄関前に停車するタクシー。

   ドアが開き、悠大の足が出てくる。

   玄関に向かって歩く悠大。

   掲示板に、上川悠大写真展のポスターが貼り

   出されている。


○軽食喫茶店・店内

   「チリリン」(扉の鈴が鳴る)

佐智子「いらっしゃいませ」

   岡田佐智子(55)の明るい声。

   店内には、水性色鉛筆でスケッチした奈良の   風景画が数点飾られている。

女性客「お茶いただけます?」

   三人組の一人の女性客(60)が佐智子に声を   かける。

佐智子「はい」

   薬缶を持って来る佐智子。

慎一「焼肉定食出来上がったよ」

   厨房の奥から声をかける岡田慎一(28)。

   佐智子、片付けた食器を厨房に運んで来て、

佐智子「もう葉子は! この忙しい時に」

   キャベツの千切りをする慎一に、

   小声で言う。

慎一「今に始まったことじゃないだろ。

   それより早く持って行かないと料理が

   冷めるよ」

   厨房のカウンターに置かれた料理に、

   ちらっと目をやる慎一。

佐智子「わかってます」

   佐智子、少し不機嫌そうにして、

   料理を運んで行く。

   黙々とキャベツを刻み続ける慎一。












 桜色の恋




悠大は一年前の彼女との出会いのことから、なぜ彼女たちの後をつけていたのかを必死に説明をした。

桜の花咲く奈良公園で、風景を撮影することに夢中で昼食を鹿に食べられたこと。それを取り返そうとしたが、桜の古木に躓いて服を汚してしまったこと。そこへ通りかかった彼女が自分のハンカチで悠大の服に付いた汚れを拭き取ってくれたこと。そして、一生懸命に頼み込んで彼女の写真を撮ったことを。


それはまた、悠大の切ない思いを説明することにもなってしまった。



ふいに、一人の警察官が、

「これは何だね」

と、指をさして悠大に尋ねた。

それは写真の裏に書かれた一編の和歌であった。

「はぁ、それは」

悠大は返答に躊躇した。



こころゆも 吾は思はざりき

山河も 隔たらなくに かく恋ひむとは



その和歌を見た彼女の兄が口を開いた。

「あ、そうだ。葉子、お前なら解るんじゃないか」

と、彼女に尋ねた。

「こいつ、高校生の時、万葉集に夢中になってね。毎日のようにそういう類の本を読んでいましたよ」


それを聞いた悠大は、体中が熱くなった。

何故なら、その和歌はまさに悠大の思いを込めた、彼女へのラブレターだったのだから。


悠大は、上目遣いに彼女の様子を窺った。

彼女がどんな表情を浮かべるのか気になったのだ。

彼女は恥ずかしそうに下を向いて、その頬には淡い紅がさしているように見えた。

そんな彼女の様子に、悠大も思わず下を向いた。


翌朝、薄青く澄み渡った空の下、春日山の麓近く高畑町にある奈良市写真美術館の前で、悠大は彼女と待ち合わせの約束をしていた。

葉子は肩まで伸ばした髪を風にたなびかせ、息を切らしながら自転車を走らせた。

今の葉子に悠大に対する警戒心は、微塵の欠片もなかった。


ふたりは少し照れながら、軽く会釈を交わした。

そして悠大が唇をわざと大きく動かし

「お・は・よ・う」

と伝える。

葉子は少し躊躇いがちに

「お・は・よ・う」

と微妙に震える声で応じた。

悠大は優しく微笑んで頷いた。


そしてそっと手を差し出した。

その手に葉子の手がそっと重ねられた。



・・・E N D・・・











 桜色の恋



ここぞとばかりに満開に咲き誇る染井吉野を背景に、女性は柔らかな表情を浮かべる。

悠大はファインダーを覗きながら、軽く息を止めてシャッターを切った。

〝カシャ〟

透き通った空に、乾いたシャッター音が響いた。

それから一年が経ち、悠大は一つだけ後悔していることがあった。

それは、別れ際に彼女の名前や連絡先が何処なのか、何ひとつ聞けなかったことなのだ。

だが、あの時の悠大にそのような精神的なゆとりなどあるはずもなく、ゆえに一年後のいま、この桜色の町を一人歩いているのである。

花見客でごった返す細い通りを歩いていると、突然、車のクラクションが何度も繰り返し鳴らされた。

驚いた悠大は、その音の鳴る方に振り向くと、その人込みの中に見覚えのある姿を見つけた。

それは、悠大が何度も何度も繰り返し見続けたポートレートの可愛らしく微笑む彼女の姿であった。

悠大の鼓動は高鳴った。

彼女は一年前となんら変わりのない優しい雰囲気を纏っていた。

悠大は直ぐにでも彼女のそばに駆け寄りたい衝動に襲われて走り出した。

人の波を掻き分けて、ほんの数メートルの距離まで近づいた悠大は、彼女が母親らしい年配の女性を乗せた車イスを押していることに気がついた。

その車イスは決して真っ直ぐに進むことが出来ずに、辛抱強くゆっくりと押し進められていた。

車イスの女性が、彼女に見えるように両手で車の存在を伝えた。彼女は振り返り車を避けるように車いすを道の端に寄せた。

車が窮屈そうに通り過ぎていく。

そんな様子に、悠大は声をかけられずにいた。

そこで止むを得ず、そっと彼女に気付かれないようについて行くことにした。

悠大は淡紅色に彩られる奈良の景観を背景に、母親であろう女性に優しく接する彼女の姿をカメラに収めていった。

彼女たちは時がゆっくりと流れていくのを楽しんでいるかのようだった。

猿沢池でにわか画家の水彩画に感嘆し、

東大寺の参道では鹿に襲われそうになり、

奈良公園でのんびりと満開の桜を愛でた。


そんな彼女たちの楽しむ姿を眺めながらも、ふと悠大には、あることが気になりだしていた。

それは、

「彼女はなぜ、あまり喋らないんだろうか?」

そのことが急に不思議に思われて、一年前のことが走馬灯のように浮かんできた。

「そういえば、あの時も彼女・・・」

そんな疑念を抱きつつも、ただ時間は過ぎていくのだった。


そのうち日も暮れだし、空の色も濃くなり始めていた。

ふいに、悠大は背後から声をかけられた。

振り返ると、そこには大柄の制服警察官二人とその傍らに見知らぬやや小柄の男性が一人いた。

突然のことに戸惑う悠大は、もう一つ自分に注がれる視線があることに気がついた。

それは携帯を片手にした彼女のものだった。

その不安げな表情が、男性の肩越しに見え隠れしていた。

どうやら、自分たちの後をつけてくる悠大の存在に気付いた彼女が、不審者がいることを兄である男性に連絡したらしかった。

その周りでは、家路に急ぐ家族たちが職務質問を受ける悠大に好奇の視線を投げかけている。

悠大がどれだけ身の潔白を唱えて、嫌疑を否定しても彼らの視線の先には、ただ怪しげな不審者が一人いてるだけであった。

悠大は自分が不審者でないことを証明する唯一の物が、背中のリュックサックにあることを思い出した。それは、満開の桜を背景に優しく微笑む彼女のポートレート写真であった。

それまで悠大を見ても全く気付く様子のなかった彼女は、そのポートレート写真を見て、一年前の出来事を全て思い出した。

そして悠大がずっと気になっていたこと

「何故、彼女はあまり喋らないのだろうか・・・」

という疑問について、一つの事実を知ることとなった。

彼女は幼少の頃の病がもとで、両耳の聴覚を失っていた。相手の話しは、口話法によって唇の動きで解釈しているのだという。

その事実を知った悠大は、今までのことに納得が出来た。

彼女と初めて出会った時のこと、そして今日ずっと気になっていた疑問のこと。

だが、悠大の彼女への思いに全く変わりはなかった。それどころか、より一層彼女への愛おしい思いが増すのだった。