「うちの職場は皆よく話をするし雰囲気も明るいですから、何も心配ありません」

そう言う上司は少なくありません。

 

しかし、にぎやかで雰囲気が明るいからといって、ものが言いやすいとは限りません。もしかすると当り障りのない表面的な会話で盛り上がっているだけかもしれませんが、コミュニケーションの質に関心がない上司はそのことに気づきにくいのです。

 

こういう職場では、皆自分の中に「ここまでは言っても大丈夫」という枠を設けていて、その範囲内のことは活発に話をしますが、枠を越えることには言及しません。ミーティングの様子などを見てみると、それが良くわかります。

 

A社の「顧客満足向上」をテーマにしたミーティングでのことです。ここには店舗で顧客に日々接している若手・中堅社員から支店長・役員までが集まって、各層に分かれてグループディスカッションを行いました。どのグループも雰囲気は明るく、活発な意見交換がなされているように見えます。しかし、話の内容をよく聴いてみると、CSをテーマにした場合にはどこでも必ず出てくるようなありきたりの話がほとんどです。

 

そんな中で、何やら重苦しい雰囲気の若手グループがありました。私は気になって様子を見に行ってみると、板書に「言行不一致」とだけ書いてあり、皆どうすればいいのか戸惑っているようです。実はメンバーの一人が「支店長はいつも口では“顧客第一”と言っているが、それは建前で、実際は“利益第一”ではないか」という疑問を口にしたのです。これは他のメンバーも同じように感じていた疑問ではあったのですが、この場で言っても良い枠を明らかに越えた発言であったらしく、板書をしたもののこれ以上議論をしていいものかどうかに迷っているようでした。もちろん私はこういう発言が本当の問題を見つけていくために重要であることを伝え、さらに議論を深めていくことを促しました。

 

ミーティングというのは多くの場合、自分に正直な思いを脇に置いて、その場に合った発言をしなければならないという無言の圧力がかかるものです。しかし、それでは議論は表面的になってしまい、いつまでたっても組織の本当の問題は見えてきません。A社では若手から「顧客第一は建前で、実際は利益第一ではないか」というような正直ベースの発言があったおかげで、議論を深めることができました。

大事なことは、自分に正直な思いを口にすることを歓迎する雰囲気づくりです。確かに枠を越える発言によって組織に波風が立ち一時不安定な状態になるかもしれません。しかしその不安定な状態を乗り越えることで組織は進化していくのです。

私たちプロセスデザイナーは、組織改革の手段として“オフサイトミーティング”という場を活用します。オフサイトミーティングは、組織の重要な変革テーマについて当事者同士が腹を割って真剣に話し合い、本質的な解決への道筋をつけていけるようになることを目的としています。

 

しかし、組織によっては、「オフサイト」という名称が「日常業務を離れて気楽に話をする場」というようなoffのイメージを先行させてしまい、本来の目的とは別のものとして業務外に実施しているところもあるようです。中には飲み会に代替できるミーティングと考えているところもあります。「重要なテーマは、オフサイトミーティング(off)ではなく会議(on)で話し合うべき」というような話が出るのは、そういう認識の表れだと思います。

 

言うまでもなくこれは誤った理解です。確かにオフサイトミーティングでは、初期の段階でお互いが腹を割って話をするための関係性づくりとしてoffの話もすることもありますが、それはあくまでも一部分です。

 

“オフサイトミーティング”がどんな話し合いの場であるのかは、参加するメンバー間で共有する“基本姿勢”を見ればある程度理解をいただけるのではないかと思います。

 

■オフサイトミーティングの基本姿勢

人の話をよく聴く

ž 相手の発言の背景にある「事実」や「思い」に関心を持って聞く。

ž 相手の真意やわからないことは問い返す。

自分に正直に話す

ž 建前ではなく事実・実態を大事にする

ž 自己規制(これは言ってもしょうがない、言うべきでない)のハードルを下げる

一緒に考える

ž 未整理な考えや間違っているかもしれないことでも口にしてみる

ž 対話を積み重ねながら一緒に答えを見つけていく

    問い直しをする

ž 当たり前になっていることを疑ってみる

ž 「そもそも」「なぜ」「なんのために」を考える           

 

オフサイトミーティングは、まだ正解がない、過去の知識と経験だけでは簡単に答えが出せないような組織の重要なテーマについて、事実に基づき、当事者同士が一緒に考え、答えを見出していく場です。上記の“基本姿勢”はそういう対話を促すためのもので、これを共有した上で話し合いを進めるだけでも随分と中身は変わってくると思います。

会議ではお互いが立場上の主張を繰り返すだけで物別れに終わるというようなテーマについても、オフサイトミーティングをうまく活用して話し合うことで、対立を越えて新たな答えを見出すことができるかもしれません。

ぜひ、仕事ど真ん中の重要なテーマでそれを試していただきたいと思います。

 

 

「人が減り、仕事量は増えていく。忙しさは増すばかり」

こういう職場環境では、自分のことで精一杯、周囲を思いやることなどできない、という人が増えていくのは無理もないことかもしれません。

 

しかし、私はそういう時だからこそ人を思いやることが必要であると思います。なぜなら、組織の中に「思いやり」を増やすことで結果として組織の生産性が向上した組織を、私は実際にいくつも見てきているからです。

ビジネスの現場で「思いやり」などというと、生ぬるい話に受けとられるかもしれませんが、決してそうではないのです。

 

人間というのは集団の中で周囲の人との関係を支えにして生きています。そのために、誰もが本来は周囲の人たちを思いやり、心の動きを感じ取る能力を持っているといいます。相手の悩み、苦しみ、悲しみ、喜びなどの感情や願望を理解しようとする力が私たちにはもともと備わっているということです。

 

では、なぜ本来持っている「人を思いやる力」が発揮されにくいのでしょうか。確かに「忙しいから」というのは大きな原因だろうと思いますが、それだけではないはずです。

 

私は、言葉に頼りすぎのコミュニケーションが「人を思いやる力」を弱めているのではないかと考えています。

私たちには、すべてを明確な言葉にしなくても相手を思いやり理解できる力が備わっているのに、日常は言語化と論理性が重視される言葉中心のコミュニケーションで溢れています。言葉に頼りすぎると、なかなか表現しにくい、論理的には説明のつかない「人の気持ちや思い」に鈍感になり、いずれそれに対する関心も失っていきます。これが、人を思いやる力を低下させているのだと思います。

 

「思いやり」というのは、相手の気持ちや思いを受け止め、一緒に悩み、一緒に考えようという姿勢であると思います。敵ではなく味方として時には相手のために厳しいことであってもあえて言う、というのも「思いやり」の一つです。

それぞれの言い分の正当性を論理的に主張し合ったところで、生まれるものは「対立」だけです。お互いを思いやり、一緒に答えをみつけていこうという姿勢が何よりも重要ではないでしょうか。その先に仮に意見の対立があったとしても、それは必ず乗り越えることができるはずです。

 

このような「思いやり」が、組織にマイナスの作用を及ぼすはずはありません。

協力の質が上がることによって組織の生産性は必ず向上していきます。

組織の生産性向上というテーマについては、様々な方法論がありますが、人間が本来持っている能力を引き出すというやり方も考えてみてはいかがでしょうか。

企業理念や行動指針を掲げて毎朝唱和までしているという会社は数多くあります。

しかし、働く人たちが日々それを判断軸にして行動しているかというと、必ずしもそうではないと思います。また、企業理念や行動指針はあっても完全に建前になってしまって、内実はまったく違うという会社も少なくありません。

 

このように、企業として最も大切な価値観がなぜ言葉だけのものになってしまうのでしょうか。問題はいくつか考えられます。

 

ž  経営理念や行動指針を自分の仕事に置き換えて考え、実際に行動し、それを振り返るという機会がないので、実践のイメージが持てない。

ž  実践の努力が認められる、評価されることはない。

ž  会社の方針や日々の仕事のし方と理念や行動指針との整合が取れていない。

ž  経営幹部に、理念や行動指針を自ら体現しようという姿勢がみられない。

 

このような問題に気付くことなく、ただ毎朝の唱和を続けたところで効果がないことは明らかです。

 

企業理念や行動指針を浸透させていく上で最も大事なことは、やはり経営幹部が自分の会社の大切な価値観を自ら体現しようという努力であると思います。社員はそれを常によく見ているものです。もちろん経営幹部も人間ですから100%体現することは不可能ですが、言っていることとやっていることの乖離をできる限り少なくしようという姿勢が社員の共感の共感を呼び、理念や行動指針を少しずつ浸透させていくのだと思います。

 

ある会社では、経営幹部を「自社の価値観をどれぐらい体現しているか」という視点で360度評価しています。しかも、それを業績と同じくらい重視しているのです。

米国ではGEがその代表例でしょう。一般的には経営幹部になると業績中心の評価になっていきますが、ジャック・ウェルチはどんなに高い業績を上げた役員でもGEの価値観の体現度が低ければ解雇するという姿勢を貫きました。

 

外に向かって発信している企業理念や行動指針に基づいて自ら行動する「言行一致」への努力は、そこで働く人だけでなく顧客や社会も今後ますます重要視していくはずです。

逆に言葉と行動とが異なる「言行不一致」の企業からは人の心がどんどん離れていくのだろうと思います。

企業理念や行動指針を掲げて毎朝唱和までしているという会社は数多くあります。

しかし、働く人たちが日々それを判断軸にして行動しているかというと、必ずしもそうではないと思います。また、企業理念や行動指針はあっても完全に建前になってしまって、内実はまったく違うという会社も少なくありません。

 

このように、企業として最も大切な価値観がなぜ言葉だけのものになってしまうのでしょうか。問題はいくつか考えられます。

 

ž  経営理念や行動指針を自分の仕事に置き換えて考え、実際に行動し、それを振り返るという機会がないので、実践のイメージが持てない。

ž  実践の努力が認められる、評価されることはない。

ž  会社の方針や日々の仕事のし方と理念や行動指針との整合が取れていない。

ž  経営幹部に、理念や行動指針を自ら体現しようという姿勢がみられない。

 

このような問題に気付くことなく、ただ毎朝の唱和を続けたところで効果がないことは明らかです。

 

企業理念や行動指針を浸透させていく上で最も大事なことは、やはり経営幹部が自分の会社の大切な価値観を自ら体現しようという努力であると思います。社員はそれを常によく見ているものです。もちろん経営幹部も人間ですから100%体現することは不可能ですが、言っていることとやっていることの乖離をできる限り少なくしようという姿勢が社員の共感の共感を呼び、理念や行動指針を少しずつ浸透させていくのだと思います。

 

ある会社では、経営幹部を「自社の価値観をどれぐらい体現しているか」という視点で360度評価しています。しかも、それを業績と同じくらい重視しているのです。

米国ではGEがその代表例でしょう。一般的には経営幹部になると業績中心の評価になっていきますが、ジャック・ウェルチはどんなに高い業績を上げた役員でもGEの価値観の体現度が低ければ解雇するという姿勢を貫きました。

 

外に向かって発信している企業理念や行動指針に基づいて自ら行動する「言行一致」への努力は、そこで働く人だけでなく顧客や社会も今後ますます重要視していくはずです。

逆に言葉と行動とが異なる「言行不一致」の企業からは人の心がどんどん離れていくのだろうと思います。

一見活発な意見交換がなされているようでも、よく聞いてみると実は同じような意見ばかりで、はじめから結論が決まっているのではないかと思ってしまうような会議は結構多いと思います。

 

こういう場合、仮に自分は違う意見を持っていたとしても「皆がそう考えているのならそれが正しいのかもしれない。違う考えなのは自分だけ。あえて波風を立てる必要はないから黙っておこう。」ということになりがちです。これは、多数意見のまとまりの良さが反対意見を出しにくくしているということです。多数派の人たちに反対意見を排除しようという意図はなくても、ここには大きな流れに合わせることを強要する無意識の同調圧力が働いているように思います。

 

多数派の意見というのはなんとなく正しいと思えてしまいますから、集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されることがあるという「集団思考の罠」に陥りやすいものです。「皆の意見だから」ということを理由に、疑うことなく物事をその方向に進めていけば、当然組織としての失敗のリスクは高まっていきます。

 

そういうリスクを回避するためには、組織の中に「反対意見を言える環境」をどれだけ整えることができるかが重要になります。

特に、まだ経験の浅い若い人たちであっても、間違っているかもしれないことでも臆することなく自分の意見を言えるかどうかが大変重要であると思います。

 そして同時に、そういう意見に耳を傾けることがなぜ必要なのかを組織の共通認識にしていくことも重要です。

 

反対意見を歓迎する組織風土を作っていくことによって、組織に内在する多様なものの見方や考え方、自由な発想、新たな知恵や創造性が引き出されていくのです。それが、正解を見出すことが難しい時代の組織の在り方ではないでしょうか。

また大企業の不祥事が起きました。

神戸製鋼所が製品の性能データを改ざん。しかもそれは数十年前から行われていたといいます。

 

こういう事件が起こるたびに多くの人が「自浄作用が働かない組織風土に問題がある」と指摘します。確かに、組織風土はそこで働く人の考えや行動に大きく影響しますから、ここに着目せずにただ不正防止のルールを強化するだけでは本質的な問題解決にならないことは明らかです。

しかし、組織風土というのは無意識のうちに醸成されていくものなので、風土上の問題を自覚することは難しく、もし問題に気付いたとしても何をどう変えればいいのかがわからないため、風土改革の必要性は認識していても本気で取組んでいるところは少ないというのが現実です。

 

私は不祥事を起こす企業には共通する組織風土上の問題があると考えています。それは、「何を言っているか」よりも「誰が言っているか」が重視されるという点です。つまり、事柄の本質よりも言っている人が誰であるかによって発言の影響度や対処する優先順位が変わってしまうということです。

 

例えば、「○○常務が言っているから」という理由でものごとが最優先で進み、反対意見も出ない。こういう組織では、「本当にそうなのか」と事柄を冷静に見ようという姿勢が急速に失われていきます。もし反対意見があったとしても、「それを言ったら○○常務を否定することになる」と考えて呑み込んでしまう。そしていつの間にか○○常務の周囲には異を唱える人がいなくなり、「ものを言わない、事柄の本質を考えない組織風土」がつくられていくのです。

 

「会社にとって意味があることなのか」「それは本当に正しいことなのか」という判断とは離れたところで物事が決まり進んでいくようになると、当然不祥事が発生するリスクは高まっていきます。そして「○○常務の意向だから」という理由によって心の迷いを消し去った一部の中間層の言動が、組織的な不正を誘発するのです。

 

組織的な不正というのは、そのほとんどが負の影響力が大きい人の意向によって組織としての判断が歪められてしまうことによるものです。したがって、不正を防ぐにはそういう負の影響力がどこにあるのかを見極め排除する必要があります。これは言うまでもなく経営トップの仕事です。しかし、それ以上に大事なことは、組織の中に「自ら考える機能」を持たせることであると私は考えます。自ら考える機能とは、

「何かおかしい」と思うことを率直に話し合い

・自分たちで組織内の問題に気付き

・根源的な問題は何かについて一緒に考え

・自律的に解決していける

という組織力です。こういう組織力を最大化していくのが組織風土改革なのです。

これは罰則の強化に比べるとかなり遠回りに思えますが、実は最も大きな効果が期待できると私は確信しています。

本来人間には、他者に共感し助けようとする動機づけがあり、他者のために何かをすることが自身にとっての喜びになるというメカニズムが作用しているそうです。このことを裏づける結果が、神経科学や発達心理学の研究から得られています。共感、援助、協力というのは、そもそも人間が先天的に持っている行動様式だというのです。確かに、様々なボランティア活動が絶えることなく続けられていることなどからも、それはわかる気がします。

 

ところが、多くの会社ではそれとはまったく逆のことが起きています。

  • 自分の仕事をするだけで周囲には無関心
  • 困りごとや悩みを相談できない
  • 必ず誰かが助けてくれる」という安心感がない
  • 部門間に壁があり、仕事を押し付け合う
  • 問題を提起したら自分一人で解決しなければならない(言ったもの負け)

本来人間にとっての喜びであるはずの共感、援助、協力が、なぜ会社の中ではおこりにくいのでしょうか。そこには様々な理由があると思うのですが、私は以下のようなことが影響しているのではないかと考えています。

 

■人に頼むのが苦手

  • 一人で大変な思いをすることがわかっているのに、「どうせ言っても誰も助けてくれない」と思い込んで自分で抱え込む。実は思い切って相談すれば応じてくれる人は結構いるものですが。
  • プライドが邪魔をして、自分が困っていることを他人に言えない。“できる人”が集まっている組織では特にこういう傾向が強いように思います。
  • 自分にしかできないと思っている。部下の力を信用できない上司が陥りがちな思い込みです。

■大きな目的が共有されていない

  • 「やり方」の違いにこだわりすぎて対立が起こる。細かな「やり方」の話に終始すれば相容れない点だけが目立ってそこから前に進めなくなるのは当然のことだと思います。
  • 「相手にとっての目的や意味」を考えない。自分の利害しか頭にない人に共感し積極的に協力しよう人がいるはずがありません。相手にとっての目的・意味を考え「一緒によくなっていこう」という姿勢をもつが大切です。
  • 大きな目的が共有されていない。直接的な目的の共有だけでなく、時間的、空間的に範囲を広げて一つ先の目的について一緒に考える必要があります。

■「信頼」が不足している

  • 普段から協力的でない人に協力しようという人はいない。相手が協力してくれるかどうかは、依頼内容だけでなく依頼する人によっても変わってきます。依頼内容がどんなに正しくても人間は理屈だけでは動きませんから、依頼する人への共感がなければ本気になって動いてくれることはないでしょう。普段から周囲の困りごとに積極的に協力している人が周囲からの協力を得やすいというのは自然なことだと思います。

 

人間本来の能力であり喜びでもある共感・援助・協力が会社の中で発揮されないというのは、そこで働く人にとっても会社にとっても不幸なことです。

組織の力を最大化するには、まずこういう力が自然に発揮される環境を作っていくことが大事ではないでしょうか。

組織風土改革というのは、そういう環境づくりであると考えています。

「部分最適よりも全体最適を優先すべき」

これは、組織で働く人であれば言われなくても誰もがわかっている正論ですが、なかなかそうならないのが現実です。

 

そもそも「全体最適」といっても、どの範囲までを全体とするのかは人によって異なります。社長にとっての全体は全社であっても、部門長にとっては自部門、社員にとっては自分の仕事に直接影響する範囲が全体になります。

 

一般的に大きな会社ほど、社員には会社全体の利益について考えるだけの十分な情報が提供されることはなく、考える動機もありません。「自分の持ち場で求められていることを全うするのが全体への貢献」と教えられ、一生懸命自分の責任を果たそうとしています。しかし、それが時として部分最適を招くのです。

 

それぞれの全体(=部分)の最適化を考える人の集合体であるブロックのような組織が、一つの生命体のように機能するというのは決して簡単なことではありません。

しかし、いくつかの条件を整えていけばそこに近づいていけると私は考えています。その条件を一言で言うならば「つながり」ではないかと思います。

 

ブロックのような組織というのは、それぞれの全体の中に大事なものがバラバラに存在しています。「目的」「価値観」「情報」「技術」「人財」「思い」などがそれにあたります。組織を一つのものとして機能させるには、これらを丁寧につないでいくことが重要です。そのためには、どこにどんな大事なものがあるのかがわかっていて、何と何をつなげば組織に血が通うのかを考え、上手につないでいける「つなぎ役」を組織の中に作っていく必要があります。

 

こういう役割は、実は誰でも担えるというものではありません。一般的に“仕事ができる”と言われている人は、自分の持ち場で求められていることを100%全うすることに集中していて周囲への関心が薄い場合が多いので、なかなか難しいでしょう。したがって、組織のトップには従来とは違う物差しで人財を見出す力が必要になります。

さらに、もしそういう人財を見出せたとしても、「つなぎ役」は黒子のようなもので決して目立つ存在ではありませんから、組織を一つの生命体として機能させるために重要な存在であるとして上司が高く評価することも重要です。

 

組織のトップがもし本当に全体最適を望むのであれば、ただ正論を言うだけではなく、それなりの努力が必要であるということです。しかし現実にはそういう努力をしている組織は、まだそう多くはないと感じています。

日常の仕事の中でかなりの割合を占める会議。

会議のありようには、その組織の風土・体質的な問題がはっきりと現れるものです。

「目的が共有されていない」「互いに無関心」「物事が決まらない」「責任の所在が不明確」「上にものが言いにくい」「声の大きい人の影響を受ける」「部門間に壁がある」というような問題は、会議の効率ばかりか組織の生産性を著しく低下させます。

 

私の知る限り、組織の生産性が高いところの会議は間違いなく活気に溢れています。参加メンバーは「この会議はなんのためのものなのか」ということをよくわかっていて、形式や建前にとらわれることなく自由に自分の意見を言う。そして、メンバー間で一緒にこたえを見つけていこうという姿勢を共有しているように思います。

 

ではそういう組織がどんな考え方に基づいてどういうやり方をしているのか。やり方はそれぞれ違っても、考え方で共通しているのは、「会議は創造の場である」ということだと思います。

以下にいくつかの例を紹介します。

 

■会議の規模をコンパクトにする

ž  関係者にもれなく招集をかけるのではなく、本当に必要なメンバー(当事者)に絞って徹底的に議論するというやり方。

ž  関係者というのは会議に参加しても傍観者になりがちで、その場にいるだけでは時間の無駄遣いになる。

ž  人数が多すぎると議論の質が下がるので、メンバーは多くても8名までに絞る。

ž  会議に参加していない関係者には、速やかに議事録を送付し情報を共有する。

 

■会議のための周到な準備はしない

ž  主催者の完成度の高い会議資料は、会議を予定調和の方向に導くことになり、自由な意見を出にくくするという考え方。

ž  完璧な会議資料を作ることに時間と労力をかけるよりも、メンバー全員で課題を共有して徹底的に考え議論する方が良い結果が得られる。

ž  内部報告のための資料作りは価値を生まないので極力省力化する。

 

■事実・実態に基づいて議論する

ž  上司があるべき論で部下を追い込むような会議をいくら繰り返しても問題は解決しないという考え方。

ž  事実・実態(あるべき論の通りにできない理由)を共有し、それをどうやって乗り越えるのかを一緒に考えることが重要。

ž  「不都合な事実」が表に出ないうちは本当の問題が解決することはない。「ありのまま」の情報を出しやすい環境を作れるかどうかがポイント。

 

■衆知を集めて責任者が決める

ž  会議で何かを決めるのではなく、責任者が決めるという考え方。

ž  誰に最終決定をする責任があるのかを明確にする。(役職には囚われることなく最適と思われる人を責任者にする)

ž  会議では、その案件の責任者が最適な意思決定をするために必要と思われる情報や意見を徹底して出し合う。

ž  その情報や意見を踏まえて責任者が意思決定を行う。

ž  メンバーは自分の意見と違っていてもその意思決定を尊重し従う。

 

どうでしょうか。「こんな会議なら出てみたい」と思えるでしょうか。

私は、参加するメンバーが「出たくない」と思っている会議は基本的に無駄が多いと思っています。後ろ向きな気持ちで参加する会議からどれだけのものが得られるでしょうか。生産性は極めて低いはずです。

もし憂鬱な気分で参加する会議がほとんどであるならば、どうすれば「出たい」と思える会議になるのかを真剣に考える必要があると思います。

業務の大半を占める会議を効果的で生産性の高いものにすることは、重要な経営課題ではないでしょうか。