「いいね」なんていらない。
「いいね」でつながっているだけで、一回も会ったこともないのに友達って笑える。特に自分をわかっていない人の自分への評価は僕を縛る。その人の持つ人の良さに僕の本音が揺らぐ。その人の気配ばかり気にして気にいるような文を書こうとする。この人はきっとこういう文体や思想を嫌うだろうなあ、と思うと書けなくなる。小心者だ。それがぼくの弱さ。弱さを弱いまま披歴することができずに悩んでいた。いい人になろうと誤魔化していた。
僕なんかおそらくあなたが想像する以上にひどい人間よ。自分の本音を100%オープンにしたら三日と娑婆で生きてはゆけない。それほどラジカルすぎる。だから日本の法律の中で納まって生きようとしている。
「この世の常識なんて非常識な奴らの多数決だ」と学生時代息巻いて、そういう文言をビラにしてアジテーションして大学内で叫んでいた。それは基本的に今も変わらない。多数派が正しいとは一切思わないし、正しいことを言っている人が正しいとも限らないと、そう思う。
昔「夢を持って生きろ」と正論吐く大嫌いな上司がいたので、その言葉をまず疑った。こいつの言うことの反対が正しいんじゃないかと疑ったんだ。そんな若さは失った。あの時、持っていた面倒臭さも失った。
「いいね」なんていらない。気に入らない人に訪問して欲しくもない。
「まともでないと自覚している自分」が正しいと思うことをシャウトしたいだけだから、読む人には面倒くさいよ。
「正しさ」は書く方も読むほうもだいたい疲れる。まともじゃない正しさだから余計疲れる。
ねっ、何を書いているのかさっぱりわからない。