なんかねえそれがダメなんよね。偏差値の平均値のような生き方がいい、と思うそれがアカンねん。
一人ひとりの人生って一つの物語で、死んだら一冊の本になっている、と仮定しよう。
そこそこうまくやっている生き方って、その物語の何が面白い?人生の途中経過に何もないやん。適当に遊んで、適当に仕事して、世間体を気にして外見のきれいな人と結婚して、生まれてきた子どもには自分たちができなかった夢を託して共依存で支配して、定年までソツなく、波見風立てず働いて、社会的な正義感もなく体制に順応して凡庸この上ない「賢い」正義を貫いて、うまく世の中渡って、友達にも恵まれて、いつも間にか死んで行ってました・・・って言われても読むほうは退屈過ぎて魅力なさ過ぎて苦痛でしかない。そんな人生の物語を最後まで読む人はいない。そんな本焼き捨てる。時間の無駄だから。
死んだ自分の一生が一冊の本になって自分の人生の物語を手に取った時、こんな恥ずかしくて恥ずかしくて読みたくもない、というような物語にはしたくない。その思いが今の退屈極まりない同じことの繰り返しの日々のルーティーンを支えている。今、楽しいからやっているのではない。死後出版される自分の物語の中味を楽しい読み物にするためにやる気を出して頑張っている。
きっとみんなそう。他人を蹴落としてでも自分の利益のためだけに生きてきました。ってそんな中味にしたくない。
極端がいい。上か下か。闘うのか闘わないのか、その中間は要らない。そのどちらかでいい。
若い人を見ているとそうしてもっと頑張らないのか、と思うことはたくさんある。」彼らの中に死後の物語を完成させるという思いがないからだろう。そんな気がしてきた。
その物語には他人には言わなかった内証もあるし、人知れず行ってきた善行も蛮行も書かれている。
そんなもの誰も見ていないから、という人生送っていると物語の中味がもうどうしようもなく下品になるしかない。
そうしないための毎日だ。
