やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

「いいね」なんていらない。

「いいね」でつながっているだけで、一回も会ったこともないのに友達って笑える。特に自分をわかっていない人の自分への評価は僕を縛る。その人の持つ人の良さに僕の本音が揺らぐ。その人の気配ばかり気にして気にいるような文を書こうとする。この人はきっとこういう文体や思想を嫌うだろうなあ、と思うと書けなくなる。小心者だ。それがぼくの弱さ。弱さを弱いまま披歴することができずに悩んでいた。いい人になろうと誤魔化していた。

僕なんかおそらくあなたが想像する以上にひどい人間よ。自分の本音を100%オープンにしたら三日と娑婆で生きてはゆけない。それほどラジカルすぎる。だから日本の法律の中で納まって生きようとしている。

「この世の常識なんて非常識な奴らの多数決だ」と学生時代息巻いて、そういう文言をビラにしてアジテーションして大学内で叫んでいた。それは基本的に今も変わらない。多数派が正しいとは一切思わないし、正しいことを言っている人が正しいとも限らないと、そう思う。

昔「夢を持って生きろ」と正論吐く大嫌いな上司がいたので、その言葉をまず疑った。こいつの言うことの反対が正しいんじゃないかと疑ったんだ。そんな若さは失った。あの時、持っていた面倒臭さも失った。

 

「いいね」なんていらない。気に入らない人に訪問して欲しくもない。

「まともでないと自覚している自分」が正しいと思うことをシャウトしたいだけだから、読む人には面倒くさいよ。

「正しさ」は書く方も読むほうもだいたい疲れる。まともじゃない正しさだから余計疲れる。

 

ねっ、何を書いているのかさっぱりわからない。

村上春樹は続けて言う。“それは自分から進んで引き受けるべきものだ

別の箇所でこうも言う“人と同じ場所に立ち続けることを選ばなかった以上ある種の孤独を引き受ける覚悟は必要になる” “孤独であることは不幸ではない。しかし、それには強さがいる”

 

僕はずっと「多数派」の中に潜り込もうと必死だった。自分の信じる世界観、価値観、政治性、幸せ感などを偽って大衆の中に潜り込もうと必死だった。バカを演じるのに大変だった。日の丸振って、街宣車でがなり立てる人を嫌悪しながらそういう思想性を殊更、表に出すことはなかったし、自分の懐に裏金貯め込んで私腹を肥やし、世の民衆のことなどほったらかしにしている政治に無関心であるように世間の人が自分を評価するように振舞っていた。それもこれも自らの臆病さと覚悟の無さとバカゆえである。そんなヘンテコな世を忍ぶ仮の姿をこれからも演じるにはもはや限界にきた。それは自分自身に対してあまりにも不誠実で、真摯に生きる姿ではないと感じてきたからにほかならない。(この誤魔化しはずっと感じていた)自分の弱さをいかに克服していくのか。弱い、と認めてしまうとどうにもならないので、自分に同情することも正当化することもしないし、ましてや周りからの共感など求めない。

 

“孤独は避けるべきものではない”

残り少ない人生はこの立ち位置を手放さず生きる。

弱肉強食の新自由主義社会が大嫌いだ。

ぼくは18歳からこの方ずっとコミュニストとして生きているし、これからもそれは揺るがない。

人と同じ場所に立ち続けることを選ばなかった以上、意見の違いにオドオドするんじゃない。世間の色眼鏡にビクビクするんじゃない。睨み返してやる。

離れる方はどうぞどうぞ。

 

 

 

もう遅いのか、まだ遅くないのか・・・。

猛烈に後悔している。

自分の生き方について。

なんでこんなに怠け者だったのか。もっと勤勉な生き方、生活態度に徹するべきだった。

すぐサボりたがった。隙あらば

社会道徳規範から外れたことをしてしまう傾向にあった。だめだ、全部だめだ。人間として最低だ。

根性入れ替えるぞ。

2026年の目標

1、ずっと思考しよう

2,長い半生の記を完成させよう

3,勤勉に徹しよう

4,構造で物事を考えよう

5,正論を外さずに物事を進めよう

6,いつも冷静でいよう

7,社会科学の本をたくさん読もう

弁証法とは、対立する意見や立場を対話や議論を通じて統合し、新しい理解や解決策を生み出すプロセス。

特にビジネスの現場において、複雑な問題を多角的に捉え、創造的な解決策を導き出す際に有用です。

弁証法の基本的な流れは、「テーゼ」「アンチテーゼ」「ジンテーゼ」という三段階から成り立っています。まず、ある主張や意見(テーゼ)が提示されます。次に、そのテーゼに対して対立する意見や反論(アンチテーゼ)が出されます。この対立を解消するために、両者を統合した新たな結論(ジンテーゼ)が形成されます。このプロセスにより、単なる妥協ではなく、より高度な理解や革新的な解決策が生まれるのです。

 

今、自分に求められているのはこの弁証法の思考。それが欠けていることに気づく。今更。急に思い立ったのだ。

問題解決に向けて自分はどんなふうに努力してきたのか。そういう自分の真剣でなかった部分に鉄槌を下す、そんな覚悟で真剣に新年に向けて構えている。

怠けていた。勤勉さに欠けていた。勤勉な人間でなかったからこそ成し遂げられなかった。胆力がなかった。根性がなかったんだ。同じ仕事を地道に長時間できるかどうか…その点で大いに欠けていた。構造で考えることができていなかった。目先の利益にばかり目が行っていた。本当に自分のやっていることに真剣に向き合ってきたのか。もう一回胆力を鍛え直せ。

 

昨日、不破哲三が亡くなった。

勤勉を絵にかいたような真摯なたたずまい、史的唯物論と弁証法的な思考と徹底して下品なことを許さなかった彼を思い出して、今更ながら急に弁証法に立ち返ろうと思い立ったのだ。

不破さんのことを知らない奴に、一冊の本も読んだこともない奴にぐずぐずと言われたくはない。

見事の人柄だった。合掌。

なんでこうも我々の立場って不安定で弱いんだろうと痛切に思う。

「福祉ヒエラルキー」の頂点に鎮座しているのは間違いなく「医師」である。これがもう笑うほど絶大な権力を有している。現場の支援員、職員、事務員がいかに優秀で状況把握、判断、処理に能力が長けていようと、医師の「万能さ」の前ではガキ扱いである。その次には行政がいて僕らのような無認可上りの事業所スタッフは福祉法人などと比肩することすら未だできない。

もっと遡れば36年前から15年前までの無認可時代は虫けら扱いだった。

存在すら無視されていた。

『年間360万円の公費を補助してあげるからこれで運営しなさい』『足りなければ自分で資金を稼ぎなさい』・・・そんな時代に放置されて、いわば生命の危機状態に追い込まれてもこの仕事にこだわって我々は這いつくばって生き延びてきた。

もう若い連中にこんな話をしても通じないし、嫌がられるから一切しないが、僕たちは悲惨極まりない現実と壮絶な戦いをしながら今の地位を獲得してきたんだ。

行政、育成会からの兵糧攻めや凄まじかった。

年間360万円って今の20分の1の財政規模。当然、僕も他の仕事を掛け持ちし、事業所も自主財源つくりに精を出さざるを得なかった。給料がまともに出ないんだから、仕方ない。休まず働いた。小遣いなんてほとんどなかった。

本当に冗談ではない。僕たちは(特に僕は)虫けら扱いだった。極貧を厭わないものだけが無認可作業所を続けることができたんだ。

おまえらにはわかるまいて。

 

今、当時僕たちに味方してくれた人たちに心からの感謝を具体的にしようと思っている。そして当時、僕たちを虫けらのように扱い、一切心を痛めることがなかった奴らへ復讐を考えている。僕の復讐の方法は先日述べた通り。

今、来年度に向けてその敵味方の仕分け作業を行っている。

子どもの頃は同じような年齢のいとこが大勢来て遊んで、親戚のおっちゃんやおばちゃんからお年玉もらって正月って楽しかった。

年末も大勢で餅つきして、大掃除して、七輪でブリを焼いて、お節料理を容器に入れるのを手伝ったり、それはそれは楽しいひと時だった。

結婚してから、年末年始、特に正月が大嫌いになった。こんなものなかったらええのに、と真剣に思っていた。

正月になると一緒に住んでいる方、配偶者、婚姻関係にある方、わが子の母親、家人、妻・・・いろんな呼ばれ方はあるけれどその方の機嫌がすこぶる悪くなった。もうどうしようもないぐらい悪くなった。うちの実家に行くことへの拒否反応が凄まじかった。その事実一つをもって「別れたい」と思うこともあった。うちの実家は代々「本家」である。本家の跡取りは長男がしているがおいら、次男と言えども多くの親戚縁者を正月、盆となると迎えいれる側になる。それが耐えられないという。親戚が多いんだ。正月ともなると一度に40人ぐらい集まる。男はジーっと座って昼間から酒を飲んで女性が甲斐甲斐しく動き回る・・・この方はそれが許せないという。

ずっと一貫して不機嫌だった。早く帰ることばかり考えてこっちも気が気ではなかった。行きたくないなら行かなかったらいいのに、行って帰ってきてずっとぐずぐず言っていた。

祖父母が亡くなり、うちの親父の代になると親のきょうだいも集まらなくなったけど、このお方、正月、盆に僕のきょうだいが集まることも嫌だった。

もうどうしようもない。

正月はトラウマだ。一年で一番楽しかった日々なのに、一年で一番憂鬱な日々になってしまった。もはや取り返すすべもない。

自分の立ち居振る舞いを動画でチラ見する。もう直視に耐えられない。

全く落ち着きのない、そう、この落ち着きのなさは一体何なんだろうと思うほど落ち着きのない姿。

堂々としていられないのだ。ひとえに自分自身への自信のなさから派生する。自信などこの人生において一瞬たりとも感じたことがない。若い頃は内心ビクビクオドオドしながらそれを覆い隠して自分でない自分を演じてきた。少なくともぼくは「自分に自信がない」などと学生の頃、カムアウトしたことがない。全く持って似ても似つかぬ別人を演じて学友会のリーダーとして振舞い活動に精を出してきた。1000人規模の学生総会で20分基調演説したこともあるし、3000人規模の学園祭の開会あいさつもしたし、円山音楽堂での4000人規模の全京都府民集会でスピーチしたこともあった。

それらは全部別人がしゃべっていた。その頃の僕は「一体、ぼくは誰なんだろう」と思いながら生きていた。何が本当か、なんてわかりもしないけれど、基本的に自分に嘘をついて生きていた。大学を卒業してから数年以上、30半ばあたりまでは「一体、今、ここでしゃべっているのは誰なんだろう」と思いながら。威勢のいいこと、大きいことを方々で自信満々にしゃべっていた。当然、役所など敵だらけだった。

本当はずっとずっとびくびくしながらだったけれど、本当の自分がどこかへ消えてしまってもう一人体内に潜んでいる演者がマツモトに成りすましていた。

ウソは長続きしない。

 

数年前、1970年代に連続企業爆破事件の首謀者だった桐島聡が50年近く偽名で隠れて生活していたのに、自ら名乗り出て捕まったことがあった。別に居場所を警察に突き止められそうになったわけでもなく、末期のがんで余命いくばくもないという段階にきて、あの事件の指名手配の者です、と名乗り出たという話。それがね、その心境がようわかるんよ。

最後は素のじぶんに戻って死にたかったんだ、きっと。

別人のまま死ぬのは忍び難い・・・。

 

ぼくも後年、思ったのはそういうこと。

本当の自分はもっと臆病で、内気で、気が弱くて、しがなくて、小心者なんだ。そういうことを隠さずに晒して生きて死にたい、って思った。

「ほんとうの自分」の「ほんとう」はどんどん変わっていく。昨日とは違う「ほんとう」になっていることも普通にある。

その時どきの「ほんとう」を身に沁みながら生きていくしかないのだ。

今の僕の「ほんとう」の姿は実に落ち着きのない小心者だ、ということに尽きる。

それは恥づべきことでもないだろう。

 

 

嫌がらせとしか思えないことをしてきた事業所があった。

具体的なことは差し控える。感情的になって業務を放棄しているとしか思えない仕打ちに先週から頭が痛む。

思うに僕は若かりし頃、上から目線で対応してい来る奴には無鉄砲を絵に描いたように前後見境なく食って掛かっていた。反面、好感持った人にはとことん親切を絵に描いたように接していた。

若い頃を思い出すたびに冷や汗が出る。バカを絵にかいたような生き方だった。

議論して打ち負かしたいと強く願っていた。マウントとりたかったんだ。

歳いってもマウント取りたがるバカを見ると心が痛む。それは若かりし頃の自分の姿だ。舐めた奴は許さん・・・ずっとそう身構えながら生きてきた。

時は流れてすっかり心の中は変わった。

我々の仕事は贈与だ。すぐに見返りを求めないで与えるだけで満足しないといけない仕事だ。

親切になろう・・・僕はここ最近ずっとこのキーワードをぶら下げて生きている。言い古された陳腐な言葉だけれど、この言葉以上の語彙を知らない。生き方として、優しさよりも親切という言葉の方がぴったりくる。

腹が立ったらそのままの感情をむき出しにせずに深呼吸して笑顔でにっこり。そして復讐の気持ちを親切心で返すんだ。敵を味方につける。マウント取るでもなく、相手に道徳権威をもって精神的にひれ伏させる…そんなことを考えている。

この仕事の大事なことはいかに敵を少なくして仲間を増やすか、だ。

そういうどうしようもない奴でさえ仲間にしてしまう。「アッ、この人いい人やんか」と相手に思わせるぐらいの敷居の低さ、邪気の無さで相手を取り込むんだ。仕事ってそういうことだろう。

それで僕の復讐が完成する。

どうも体調が悪い。

前立腺、リュウマチ、難聴、目のぼやけ、腰痛、やる気のなさ・・・。

そんな64歳の12月24日。

 

0:45 伏見工業の山口センセイの番組を途中まで見て寝る

7:15 起床。新聞読みながら。すぐにフレーク、バナナ、コーヒーを

8:10 家を出る

8:20 北館の準備、ダスキンのモップでフローリング掃除

8:50 パソコンで業務

9:15 利用者受け入れ準備

9:30 Yさんと北館2階へ 髭剃り、連絡帳点検

9:55 Yさんをセレナへ 香寺公園へ歩行援助 45分

11:35 戻ってきて、早めの昼食

12:30 西信へユニオン振込

13:15 南館でMさんの体操、複数人で絵カード学習

15:00 Tさんのサービス担当者会議を(相談支援員、母、おいら)

15:30 介護保険への切り替えを告げられたTさんへの働きかけで電話

16:10 事務仕事

18:00 加古川へ恩師に会いに

21:30 事務仕事

 

 

 

昨日。大阪は堺。南海阪堺線、大小路駅下車して開口(えぐち)神社へ。「おたび寄席」今回でちょうど600回。記念の会だけあって満席。70名ぐらい。

講談と落語の会。

講談三席と落語二席その他一席。その他というのが桂文福師匠。この人、落語家ではあるがジャンルがわからない。無茶苦茶である。その無茶苦茶を見にはるばる堺まで、ってちょっとおかしいやろ。

12月の講談は忠臣蔵関係が多いから時々聴きに行く。史実に基づかないいわゆる赤穂浪士にまつわる「外伝」が講談には200以上ある。

一番好きなのが「引き揚げの提灯」

討ち入り後、誰言うともなくの人々が泉岳寺へ向かう赤穂浪士の足元を提灯で照らしていく。これは泣ける。

次が「南部坂雪の別れ」討ち入り前夜に亡き浅野内匠頭の未亡人にあいさつに出向くがその中に「スパイ」と思しき人物がいて本当のことを言えずに引き払ってくるという名場面・・・昨日はそんなネタではなかった。

 

桂坊枝さんの「火焔太鼓」が素晴らしい。桂枝女太(しめた)さんの「悋気の独楽」がこれまた聞かせる。

 

大トリが文福師匠。河内音頭、相撲甚句、小噺、なぞかけなど好きなように何の脈略もなくやり続ける。聞き取りにくい舌足らずなしゃべり。

しかし、何が凄いかって、嘗てこんな芸風の芸人はいなかった。「元祖」であることが凄い。自分の道を切り開いていったその先進性、斬新さ・・・他の追随を許さない、というかこんな芸、奇抜過ぎて他に誰もやりようがない。そこまで突き抜けている。

僕はその二番煎じでない「芸」や「生き方」が好きだ。その人しかできないもの。それを見に多くの人が来ている。

僕もその一人。

基本をマスターしてからの自己流。それが大事。頑張るぞ。