ボケてきている。なんとなくわかる。物忘れとか思い出せないとかではなく、頭の中にモヤがかかったようになっている時間が増えた。早晩認知症になる。間違いない。
僕は自分で言うのもなんだけど、小さい頃からの記憶が抜群にある。かなり鮮明に覚えている。
65年の歴史のうち62年の自分史を最初の3年間を除いて記憶している。
覚えていない人生ってなかったと同じことではないのか、と思う。
記憶にない人生ってそういうことなんだ。
だから、思い出の数、記憶の数は僕が辿ってきた人生そのものである。
だから時に誰かと昔話をして記憶を呼び起こしたいし、自分が忘れていたようなことを第三者によって蘇らせてほしい。生きてきた証として。
「何にも覚えてませんなあ」という人生でありたくない。事あるごとに鮮烈な記憶を呼び起こしたい。それがいくら嫌な記憶であったとしても。
過ぎた昔を振り返ることがさも後ろ向きな生き方の代表例として言われることもあるけれど、そんなことはない。思い出こそが今の人生を支えてくれているし、前を向かせてくれるんだ。忘れてしまいたい記憶ならともかく、昔のことを覚えていることは自分の人生を豊かにしてくれるに違いない。
越してきた記憶をもう一回整理して人生を振り返りたい。ここ三年ぐらいでそれに取り掛かろう。なんせ、もうすぐボケてくるに違いないから、急ごう。
昨日、貧乏な時代のことを何気なく思い出していた。
40歳の頃の話。
仕事場と自宅が一体の暮らしをしていた時に、こんな生活から脱出したいと家人と長女が言い始めた。
けど、先立つものがなかった。情けなかった。なんとか家人の実家を売って頭金を作って、うちの両親がかなりの額の代金を立て替えて支払ってくれた。それで引っ越せた。情けない。そんな折に祖母が亡くなった。親父の弟が葬式を仕切っていた。「お前は内孫やから花かごと香典20,000な」と一方的に言ってきた。
僕はへそくりもなにもなかった。家人に「こんなこと言われたわ、どうする」と言ったけど気持ちいい返事はなかった。「あんたのお婆ちゃんなんやから自分で何とかできひんの」と言う。ほんまに侘しかった。
40の頃、我が家に貯蓄と言うものはなかった。あの頃を思い出すたびに泣きたい。
我が家にお金はなかったんだ。
あの頃、農民連という団体のコメを契約してくれた人の家へ配達していた。30件ほど配達して15,000円。歯ブラシを付き合いのあった施設に卸していた。月に3000円。亀の子温泉という源泉の湯を軽トラックに載せて希望する家庭の配達して湯船に入れていた。一回500円。年末になると食品やカレンダーのカタログ販売に精を出し、自分たちのボーナスをねん出していた。近所でやっていた朝市に便乗して焼きいもを売っていた。新聞配達も週三回やっていた。本業では食えないから、それを続けるために副業に精を出した。生きるのに日々必死だった。水面に顔を出して呼吸するために必死だった。万引きしてでも生き延びてやろうという殺気で目が血走っていた。
お金がなかった。
コカ・コーラの缶にシールが貼ってあってそれを何枚か集めてはがきで送ったら抽選で腕時計が当たる企画があった。中学生みたいに必死になってシールを集めて何回か送った。当然外れた。アトランタ五輪の頃の話。
家人が「全然お金ない」「こんなに働いているのに、何でよ」という言葉が胸に刺さった。長女が高校受験の折に「私立に行かすお金ないで」と家人が言っていたのが一番堪えた。
貧乏は犯罪を生む。実感した。
自分の人生の大半はう嫌な記憶の吹き溜まり。それでも覚えていた方が絶対にプラスになる。