「天職」のことをCallingもしくはvocationと表わすそうな。
結局、相手からもしくは神から「お呼びがかかること」
そう思うと『この仕事は自分に合っているかどうか』を考えて自分で決める、という考えは間違っていると思わざるを得ないんだ。
合っているかどうかというよりも「楽で給与や待遇がよくて汚れ仕事ではなくて見栄えもいいし、やりがいもそこそこある・・・」そんな判断基準で「合っているかどうか」を判断しているんじゃないのか。
達成感とお金と評価が重なったらやりがいを感じるんだと思うんだけれど、働く前からそんな深くまでわからないよね。
選択の余地もなく細々とした家業を継がざるを得ない人もいるし、身体的なハンディキャップのせいで限られた職業にしか就けない人だっている。僕も出自や外見のせいでアイドルになるのを辞めたし、皇族になるのも断念した。
子どもの頃憧れていたなりたい職業なんかにはほぼ100%近い確率でなれないよ。だいたい小学生の頃、世の中にどんな職業があるのかなどほとんど知らなかった。10個ぐらいしか言えなかった。そんな中から憧れていた職業になれるなんて、逆に言うとその他の職業を知らないんだから憧れようもなかった職業の中に本当に出会えればよかったことがあった確率の方が高いのは明らか。
他者からお呼びがかかる仕事を天職というんだ。
天職は他者が評価するもの。
おまえは余人を以って代えがたい、そういわれる仕事こそが天職だ。
就職の面接に行って「あなたがわが社を選んだ理由は?」と聞かれて「○○と△△の理由で自分に向いていると思いました」なんてすらすら言おうものならそんな寝ぼけたことを言う人を僕が人事担当者なら採用しない。
思うに天職って「汚れ仕事」の最前線の現場であることが多い。
楽とか待遇がいいとか、休みが多いとかと思ってくる人が出会えるところではない。そういう考えの逆の場所に天職はあるんだ、きっと。
「あなたにどうしてもこの仕事を引き受けて欲しい、我々を助けて欲しい」そう要請されたら意気に感じてとりあえず引き受けよう。幸せのその先にあるものがそこにはあるかもしれない。世俗の価値では計り知れない得体のない興奮があるかもしれない。自分の存在のありがたさを他者が具体的に評価してくれることによってのみ人は生きていることを実感し、前を向ける。ぼくもそういう天職を未だに待っている。
ただ「あなたにお願いしたい仕事はこれだ」と言われてこっそりピストル渡されたら、その時だけはお断りしよう。
