何度も言うが僕の場合は「自分がやったこと」で完結しない。
その後に「他者からの評価」があって完結する場合が多い。
世に言う承認欲求の塊のようなところがある。「陰ながらの善行」が極めて苦痛に感じるのは他者からの評価が届かないことをしても自己評価は上がらない、というなんとも下劣な理由からだと思う。
「ちゃんと見てくれた?」とすぐ思う。困ったもんだ。
こういう仕事をしているんだから他者からの評価ゼロでもちゃんとやれよ、と思うがなかなかできない。
今日も今日とて休みにもかかわらず、フェンスの取り付けに来てくれている業者さんがいたので朝から晩まで一日職場にいて色々と急な対応がある際に備えていたし、その合間を縫って修理に出している送迎車の引き取りに行ってきた。休みの日にスタッフに連絡するのもはばかられる(休みの日にまで仕事の連絡をして露骨にいやがられた経験がある)ので頼みやすい知人に頼んで現地まで乗せてもらって個人的な謝礼をしてきた。こんなことを誰も知らないという事実が無性にイライラさせる。(だからその代償行為としてこんなことを書いているんだ。現に明日からの朝の送迎に必要な自動車を誰も取りに行かないと業務に支障をきたすことぐらいわかることなのに誰も考えてくれないことに業を煮やしている。)
ハンナ・アーレントは言う「人間は他者の前に現れることで世界を持つ」
カントは言う「賞賛とは無関係に善を行うことだ」
他者からの賞賛、評価を何よりも欲しがる俗人マツモトと、そういうことは人間の正しい生き方ではないというもう一人の善人マツモトの思いが葛藤する。
青少年期、異性から一切相手にさえしてもらえなかったどころか口さえきいてもらえなかったという黒歴史が影響しているような気がしてならない。
僕は「さなぎ」の時期、ずっと透明な存在だった。
他人が怖くて、目立つことを避けてきた。何か行動を起したりしゃべったりすると笑われそうで、殴られそうで存在を消した。それは女性恐怖症ともいえる現在にもつながっている。現に家人が一番怖い。目を見て話せないと何人の女性から言われたことか知れない。
十代の自己形成の大事な時期に評価してくれるのは母からしかなかったように思う。
それと足が速かったことでぼんやりとした自己評価をかろうじて保っていた気がする。
中学生までは教師からもほんと好かれなかったし、「友人」なんてものはいなかった、みんなが自分を軽く見下していたと今振り返って思う。その思いは振り返るたびに心が重くなるほど、当時の関係者を殺したくなるほど重い怒りにつながる。未だに。そう、未だに、だ。殴りたい。
十代の頃、何の苦労もなく大勢に好かれ、モテたり、人間関係を築けた人間は大きくなってもそれほど承認欲求は強くないんだろうな、自信があるんだろうな、きっと。
僕は自己評価の飢え、人間関係の飢えを抱えたまま大きくなって自分の存在理由を必要以上に求めているんだと思う。だから過剰に他者の役に立とうとしている。自分なんてそんなふうにしないと相手にされないという恐怖におののいている。
自分は存在してよかったのか、自分の居場所はどこなんだ、そんな感覚に今日も人一倍神経を使いながら感じ、深呼吸している。
その若い頃の『透明な自分』という存在は周りの女性からしたら、人間の持って生まれた本能として「こいつの遺伝子だけは(自分に)引き継ぎたくない」という「拒否反応」だったんだと思う。僕もそういう本能的にオスとして受け入れられていないというのを嗅ぎ取っていたんじゃないのか。今ではわからないが世間から「こいつの遺伝情報だけは絶対に残したくない」という確固とした拒否を全身で感じていたんだ。その点「モテていた」やつらはそういう人間の基本的な「拒否」を知らずに生きて来たから性格がゆがんでいないのではないか、と思う。
自己評価も他者評価も低すぎる人間にできることは大きく見せることだけだ。虚勢を張ってヤクザになるか、右翼になるか、逆に善人になるか、共産主義者になるか、それとも死ぬか、引きこもるか・・・そんなところだろう。僕が暴れたいというのも何かを全部吹っ切りたい、という痛切な自己否定があったからだと思うし、今もそういうゆがみは自覚する。
考えてみてくれ、65超えた老人が未だに「暴れたい」っていう異常を。