光市母子殺害事件 元少年の死刑判決への人々の思い
 1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決公判が22日、広島高裁で行われた。..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]


この事件、そして今回の判決に関しては、多くの人がいろんなことを考えたと思います。

僕もそのひとりです。

でも、いろいろ考えても自分なりのすっきりした答えのようなものが見出せません。

この事件については、事件当時から強い関心がありました。
当時、僕も妻ひとり娘ひとりで、僕なりに自分と家庭のために一所懸命働いてる時期でした。
だから、自分が働いている間に、家族がむごいことになって、家に帰ると誰もいない。
帰宅して息をしていない家族を見たであろう旦那さんのことを自分に引き寄せて想像することができました。

自分であったら、一体どうなってしまうのであろうな、とよく考えたものです。

たぶん、僕であったら、生き甲斐は失っているでしょう。家族の人権を守るために裁判で闘うことだけが生き甲斐であると思う。それを果たしたら生きる意味を失うことも想像できます。

そのように「もし自分だったら」ということをよく考えるのですが、
今回の死刑判決は、遺族にとって望んだものであり、その点については良い結果だったと思います。

しかし、殺人というもの関して、悪質であるとか、悪質ではないという質の問題はあるのだろうかと思います。正当防衛などは除いて。

今回の殺人は、被害者が2人、そして計画的ではない(たしか)、犯人は犯行当時未成年である、ということを考えると、今までの例から考えれば異常なほどに重い刑罰が下されました。

このことを考えると、今回の判決の妥当性は僕のなかでとても揺らぐのだけれど、
それでもなお、判決を支持するための材料を自分のなかで見出そうとしてしまいます。

感情的といわれればそれまでなんですが。