私は昔から道を覚えるのが得意で、一度だけ通った遠い街の道も通ると思い出したりする。

それと同時に忘れていた、その時の記憶も蘇ってくる。

 

小学2年まで住んでいた街、〜家の庭〜飼っていたカエル、カブトムシ小屋、ハムスターの食べ損ねたひまわりが高々と生えていた庭の隅〜通学路〜スズメの子が落ちていた道路、バネだけ残ったマットレスの残骸

歩いた道はより記憶に残る。

 

今でも大きく変わらないその街に比べ、小学3年から4、5年前まで住んでいた街は変わった。というより見方が変わり、変化に敏感になったのかもしれない。

 

東京西部にずっと住んでいるが、自分にはあっていないと思う。

合わない人間に自分がなったといったほうが正しい。

 

近々移住をする予定で、ここ数年通っていた八ヶ岳の麓の街にいくつもりだ。

大きな自然と広い空、遠くの景色、健康な土、これらの恩恵は今住んでいる場所ではなかなか感じることができない。

 

そんなことを決めてから、昨日前に住んでいた街を通ったら異様に知り合いに会いたくなった。

住んでいた当時の知り合いに、近所のおばちゃんでもラーメン屋の店員でもいいから。

 

ここが嫌になって出たはずなのに、出るとここにいた時間が尊かったことに気づく。

これはどんなところでもそうなんだろうなと思う。

同時にその時にその場所で作った人との関わり、時間の過ごし方は大事にしたいと思う。

 

日本人が昔から受け継いできた「祭り」という文化はそういう意味でも尊いのだと思う。

目に見えぬものと見えるものが交差する時間、地域の人々が集まる賑やかな時間。

簡単に消えてしまう、見えぬものを守り継承するために祭りはあるのだと思う。

 

「盆唄」という映画を阿佐ヶ谷の小さな映画館で見た時の感想を引用する。

 

”「アイデンティティー」一人の人がいて、存在にはルーツがある。

根は近しい関わりと絡まる。

福島原発によって故郷を失った人々は、移住先で生活が落ち着いてもふさがらない穴がある。

自分が何者なのか、記録が残っていても足りない。

日本人、福島県人、、という記録では足りない。

残したいものはそういうことではない。

二度と戻らないその場所を諦めるのはつらい。

しかし、場所を変え残せるものもある。

絡まった根の記憶は消えない。

150年前、故郷に帰れなくなったハワイへの移住者、越中から相馬へ移住した三次郎さん一家、それぞれ現代にはない困難があった。

困難を乗り越え、今なお途絶えず、子孫やその意志が生きている。

そして、先祖に歌と踊りを届けている。

本当に大事なことを人はすぐ見失ってしまう。

原発事故はそれを現代の人々に知らしめた。

先祖から子孫へ、形あるものもないものも、場所や景色が変わろうとも。

その繰り返しが私という一人の人間のアイデンティティーを示している。

祭り文化は、見えるものと見えぬものが交差するところなのかもしれない。”

 

 

原発事故は街ひとつ、それ以上の範囲を立ち入り禁止にしてしまう。

他にも海面上昇で沈んでしまう島もある。

起こらないに越したことではないが、そのきっかけが過去にあり、いくつものサイン

に目を向けなかったがためにそうなってしまった。

 

将来の子孫のために、地球のために変わらなければならないことはたくさんある。

住む場所も、街並みも、生活も、経済活動もこのままではいられない。

それでも代々継いできた命と、自然とともにあった文化は滅ぶことはない。

 

大事なものを見失いたくない。