最近、電車の優先席の存在意義について考えることがしばしばありました。

「誰も席を譲らない→だから仕方なく優先席を作った→優先席以外では譲らない、譲る必要無いときに普通の人が優先席に座っても悪者扱い」
優先席って、建前だけのもので、真に思いやりの気持ちなんて育まないし、わるいとこばっかりや!

こういう考えが自分の中にありまして。
まぁとにかく優先席なんていらないと思ってたわけです。

だから僕は、席は積極的に譲るようにしてました。
たとえ「結構です」と言われて少し恥ずかしい思いをしようが、まだまだ自分は若いと思っている方の自尊心を傷つけようが、その人がもし席を必要としていたら、それによって得る利益は前二つをはるかに凌ぐと、そういった持論をもって、そういった行動をしていたわけです。
それが今日、ある出来事で大きく見方を変えました。


M氏と和食さとに向かう途中の地下鉄の車内。日曜日だからすごい混んでまして。
ふと車内を見渡すと立っているおばあさんがいたから席を譲りましょうかと声をかけたんです。

そしたら「結構です」と言われました。

やっぱりこの瞬間は恥ずかしい。M氏がいたからなおさら。
それでも、いつもの事と、あまり気にしませんでした。

それから何駅か進み、車内が空いてきたころ、目的の駅に着いたので電車を降りました。
おばあさんはまだ立ってました。


そしてエスカレーターに乗った時、M氏がいいました。
「声かけてなかったら、おばあさん、席空いてきた頃に普通に座ってたと思うよ。変な意地を張らせちゃったんだよ。」


自分の中でボカンと何かが崩れたような気がしました。

僕は、日本人はひかえめすぎるから、親切心でさえもおざなりにしている。だから、少々押し売りでも積極的にしなきゃいけない。
って思ってました。

でも、そうした結果がこれ。

日本人の非言語的コミュニケーションを重んじる民族性を再認識しました。
それこそが優先席の存在なんですね。
黙って譲るんです。
そうすることで、互いに気兼ねというものが生じない。親切の受け手も、送り手も気持ち良く。
親切する方は、これも頭に入れなければいけない。

自分のしていた事の未熟さを反省するとともに、自分も日本人だから、日本人なりの親切というものを考えないといけないと思いました。