心身を支える、その後の大切な柱になろうとは夢にも思わず、な~んとなく始めていました、走りを。

二十代の折り返しあたり、度付きサングラス(超濃い色でも制作可能時代の到来☆)が目元に届いた所為もあり。

虚弱体質の対策にいいかも?な軽い気持ちでした。

が、走りに慣れて行くと驚きの日々が広がり始めました。

 

生まれおまけの強度弱視や、光調節機能効かない視界が壁となり、身体を思いっきり使い切る事を知らなかった生活は、運動の快感で一変。

麦時間との出逢いもこの頃からです。

 

身体的に縁遠い(運動会は一度も出してもらえず、見えない見学♪)はずのレースにも、参加出来るようになり、公演後も事情許せば走る事を選択していました。

 

その頃はまだ、ステージを下りた後、メンバー全員で食事をとるシステムだったので、メンバー承諾を得て、オーダー必要な場合は、走る前にスタッフにその日好みを伝え即、宿を飛び出していました。

冷めかけの食事を、走り後にパクつく事も、どこか新たな充実と繋がってた気もします。

 

まだ初心者マークだった頃、北陸の何処かの後、着替え済まして走りだすと、「ぼくも一緒に走っていいですか!」と私服の少年が進言して来ました。

自分にも余裕無く、断りを入れましたが、彼は既に臨戦態勢♪

仕方無く受け入れ、大人気なく振り切るつもりで一緒に走りました。

併走は2.3キロだったでしょうか、運良く音を上げてくれ、その後はゆるりと走りました。

 

あの少年も、同じ歳ぐらいの息子を持っていてもおかしくない、、長い年月。

 

 

 

 

 

 

キャッスルロードで買った、自分土産、旨し☆

 

 

まさとし