前期退団後、オールウェイズへの加入の、ずっと前。
勿論レコード盤は家にありましたが。昔の自分等の音を、新たな時代(CD)で聴いてみたくなり、レコード会社にお願いし、懐かしいスタジオが裏にある、溜池のビルへ。
手渡されたベスト盤の表紙を見て。メンバーの入れ替わりの口火責任へと、イメージ移行したのを、覚えています。
で、列車にまつわる思い出話を、少し。
まだ、寝台特急が元気だった頃。
遠距離でも宿泊しない事も、よくありました。
東北や北陸での、終演後の興奮を抱えての、ブルートレインの雰囲気が、懐かしいです。
普通寝台の三段対面式ベッド部屋(二等寝台)に、メンバー5人と、マネージャーと言う時代もありました。
その内、二段(上下)ベッド部屋(一等寝台)に格上げになったような?‥。
半円迫る、列車天井側の上段もそうですが、真ん中の段の時は、狭過ぎて窮屈で寝づらいと、思いながらも、疲れが勝って直ぐ寝入っていたように思います(笑)。
カーテンを閉めると、ベッド横の小さな蛍光灯が、その存在を主張し始め、衣紋掛けが自室な落ち着きを創り、狭さには直に慣れて行きました。
途中目覚めても、身体を揺する真夜中列車のガタゴトは、何やら解放気分を運んでくれる心地良さがあったのを、覚えています。
眠れず、寝台のカーテンを薄く開け、車窓を時々流れる、深夜の町々の光を、ボーッと眺めてた事も。
何処かの駅での、長い停車時間と、その静けさに、次第に目が覚め、次に車両が引っ張られる出発振動で、再びの安眠。な感じだった事も思い出します。
公演地での打ち上げを、済ませて乗る事もあり、そんな時はメンバーは既に、ご機嫌ほろ酔い状態。
互いカーテンを開け合い、周りに気遣いながら、深夜の静かな二次会を、短くやった事(有志のみかも?)もありました。
つい深酒過ぎた、ある朝の、二段寝台上段での目覚めは、何と!終点アナウンス(次は終着駅の上野です…)の時。
とにかく時間が無く、私物まとめ、洗面を諦め、手持ちの油取り紙を大量に使い、顔の隅々と耳や首筋辺りを拭き取り、存外、サッパリしたのを、覚えてます。
到着後、早朝にも関わらず、驚いた事に数人のファンの人達の出迎えがありました。
限られた列車本数を考えると、到着時間は容易ですし。
同じ列車の可能性(大移動♪)もありますが。
多忙疲労の中、彼女達の元気な笑顔や、若さ溢れる声に、力をもらえた事も、覚えています。
その中の誰かが「あれー?ガーリー(恥ずかしくも愛称ダス♪)だけ、随分スッキリしてる~!」と言われ。
京都の油取り紙の威力に、感謝した記憶あり(笑)。
乗車経験があるブルートレインの、ひとつひとつが消えて行った時。マニアではないのですが、遠退いて行く思い出を愛おしく感じた次第。
明け方、通路側窓際の椅子に座り、本に目を落とす長身メンバーを、見かけた事あり。
まさとし