決意の東京塒。五人暮らしの南青山の合宿所も、四谷坂町での二人合宿のどちらも、坂の下で、二階建ての一階部屋。

 

そして待望の一人暮らしは世田谷となり、天空の9階に、住処を構えました。

 

高速道路を見下ろすリビングの、床から天井まで一面のガラス窓からや、同じ壁沿い、和室五畳の外に張り出したベランダからの眺めは、合宿生活の一階と比べると、まるで天空の眺望解放区でした。

当時周りに高い建物が無く。

雲移る夕暮れ。高速を行き交う光と彼方へまばたき続く夜景。

時には、幻想的な夜明け前の紫から始まる、空でのグラデーションに、朝陽出るまで見とれた事もありました(呑み会後多し、笑)。

建物の大きさは、雨音さえ届かせない事を知り。休日、一歩も外に出る事無く過ごせる、部屋の快適に浸ったものです。

 

景色の有り難みは、十年住んで行くうち薄れはしましたが、思い返す今は、とても鮮明。好印象だけが残る、素敵部屋でした。

渋谷からの交通機関がバスのみ(途中で新玉線開通)だったので、家賃も格安な感じでした。

 

間取りを書き出してみます。劣化する記憶の為。

 

ドアを開けると、上京後初めての玄関が登場します。

程良い1メーター半程の四角い土足場。

その左に靴箱があり、下足して上がると、左にアコーディオンカーテンの仕切りがあります。

開くと、正面左に洗面所、右下には竹の脱衣カゴが見えます。

カゴの手前右にドアがあり、ノブを引くと窓無しの風呂場。

湯船前の洗い場左壁に、円柱形のライトが突き出していました。

洗面所を挟んで、バスルームと反対側のトイレのドアを開けると正面に、“Let It Be”のポスターが見えます。

 

アコーディオンカーテンを束ねる側、部屋に入って直ぐ左に、洗濯機置き場(二層式洗濯機を置いていました)があり、その真上にはコインランドリーのようにデカい乾燥機が最初から備え付けでした。

この便利セットのおかげで、洗濯をマメにするようにもなり。乾燥機で何枚もの衣服を縮めて、勉強もしました(笑)。

 

アコーカ♪を背に洗面所を出て、廊下を二・三歩進むと左に曲がります。

 

左壁に埋まるように、当時としてはかなりドデカい、存在感たっぷりの湯沸かし器が。

 

廊下右には襖があり、その奥は和室の6畳。ベッドを置き、寝室にしていました。

部屋右横の押し入れには、来客用の布団を入れ、残りはクローゼット代わりに使っていました。

 

廊下にもどります。

三・四歩進むと、そこから左全体が八畳洋間のリビングになっていました。

話始めの、全面ガラス窓が前方で、その直ぐ手前に景色臨む形で一畳の畳の上に、ドラムの練習台があり、右横にヘルスバイク。その横、壁際に中古で買った電子ピアノ。その手前にソファーを置いていました。

 

ガラス窓と反対側が、意外に自炊した♪システムキッチン。

部屋の真ん中には、木板四枚のテーブルを置き、窓とキッチン側に、向かい合わせのデッキチェアーを置いていました。

 

リビングの右にも襖があり、開けると、五畳の和室。

奥の押し入れの襖は常に外していて、上段にステレオセット。下段にはレコードがひしめいていました。

 

和室の真ん中には電気こたつ。ステレオ前には、14型の赤いボディーのテレビが、カラーボックスの上にちょこんと乗っています。

ベランダに向かって、こたつ手前が僕の座り場所でした。

座って左、リビングとの仕切りの襖一枚に沿いカラーボックスがあり、いつか読むかも本等がズラリ。

ボックスの上に積み上げられた雑然書類横に、車や軍艦やゴジラのプラモな色々が見えます。

この部屋にはミュージシャン仲間その他、いろんな人が出入りしました。

明け方近くに従兄弟が、上村一夫先生や、赤塚不二夫先生を連れドアを叩いた事も。ステージ前の熟睡を寸断された、懐かしき思い出あり☆

 

 

まさとし