その昔、生家の西門蒲鉾は、正月休みを終えると、どこか晴れやかで賑やかな、十日恵比須への支度に追われていました。

その新春らしい店の活気の素敵を、よ~く覚えています。

 

十日は亡き父の誕生日。生きていれば、102才。39年前に、63で他界しました。

 

父の誕生日が、商売の神様の正月大祭と重なるので、いつの年からか始めてたらしいのです(本人からの聴取無し♪)出店を。

 

日頃から御贔屓のお客さん達に、お礼の年賀状(積み上げた高さ20センチを、三束程?)を自筆で送り。参拝された方々はそれと引換に、境内にある店で、福引き(外れくじ無し)が出来る形式になっていました。

景品の全ては、かまぼこ。

通常の新春初売りの他に、景品のかまぼこ造りが加わるので、店は年明けから大変だった訳です。

 

景品は、めでたい鯛形かまぼこがベースで、・松が(豆鯛)・銀福が(中鯛)・金福が(大鯛)・大福帳が(白く大きな短冊形に、大福帳と書かれた蒲鉾)・そして大当たりが、博多ではお祝いの引き出物として定番の、春冠(木箱に、松竹梅や特大の鯛等が入った蒲鉾セット)だったと記憶しています。

 

生家では余りに当たり前の年中行事。故に、父親に敢えて尋ねる事はしていないのですが。

おそらく、感謝の無償奉仕店だったので、神社側からの御厚意の計らいで、境内での出店が叶ったのでは?と推測しています。

親の何も解らず、上京するまでは遊びがてらに、半端な手伝いに行っては、露店・お化け屋敷・見世物小屋・サーカス小屋巡りを、存分に楽しんでいました。

懐かしく思い出し、今更な反省!

 

毎年、出店をしっかり受け持ち、守ってくれてた がたすまち(片須町)のばあちゃん(祖母の妹)には毎朝。ご挨拶ば(他のご先祖さん達にも)、しとります♪

 

 

まさとし