新進気鋭頃の中野サンプラザへは、一人暮らしの天空部屋から、何度も出陣しました。

当時の都内のホールでは、圧倒的に公演回数が多かった所です。

 

中野に最初に行ったのは、サンプラザ登場以前。

丸井本店での、公開生ラジオ番組での演奏で、二・三度出演の記憶があります。

サンプラザへも当初、その時覚えたバス電車乗り継ぎを使っていました。

 

しかし何度目かの公演後。贅沢タクシーが用意されていて。

帰宅までの時間の短かさと、経路に驚き、天空部屋の位置を遅蒔きに理解。

それ以降は一番効率のタクシーとなりました。

渋滞に遭遇し易い、道路通過等を考慮し、いつも余裕の出発にしていました。

故に、早め到着がよくあり、商店街での時間潰しに頭を捻っていた事を思い出します。

そして入り時間に、徒歩で楽屋口を目指し、世間様の認知度を、嬉しもみくちゃで体感。

 

以降そんな時はスタッフのご苦労軽減の為、駅反対側からタクシーに乗り、運転手さんに事情伝えての入館にしました。

 

夏場や冬場の長期ツアーも、よくありました。

ツアー初日に手渡される、その日の公演場所と、宿泊と交通手段が書かれたメモ。

それ等をホッチキスで止め束ねた厚さが、二センチを軽く越えるズッシリ物も、よくありました。

公演が終わる毎に、一枚ずつ剥がして行き、段々薄くなるそのメモ束をどこか、励みにもしていたのを覚えています。

よ~し東京に戻ったら、あれも・これもやってやるぜぃ~(笑)!

 

出発日の朝、寝坊して、時間が無く寝床から飛び出した、まんまな跡形を、1ヶ月後の帰宅で発見した時の、不思議な虚しさを覚えています。

 

駒沢ならではの、地の利を得た仕事も、幾つかありました。

 

女子大生に囲まれ華やいだ、世田谷区民会館(女子大文化祭♪)や、人見記念講堂(三軒茶屋)も、ご近所仕事でした。

が、なんと言っても一番印象は、田園コロシアム☆

 

ライヴレコーディングもセットされてたので、トライアル構成多く。その日のメンバーの緊張と団結と、解放を。

ぎっしり客席の興奮に揺り動かされた心身を、よ~く覚えています。

 

道路事情もあり、終演後の混雑・混乱避ける為、ステージの真後ろ、裏門手前にはタクシーが待機していました。

そして、アンコール終了と共にそれぞれがタクシーに乗り込み、開門の瞬間に出発!

 

スティックを置いた僅か15分後には、静寂の天空部屋に戻っていました。

歓声残響止まぬまま!達成感満杯麦時間にひとり、浸っとりまいた。

 

-また、書きます-

 

 

まさとし