【UTMF2014 崩壊レポート】 | しろグ

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ご来訪、ありがとうございます。
まあ、そうおっしゃらないで、ゆっくりしていってください。

皆さま、お疲れさまでございます。
バタバタと落ち着かない投稿、すみません。
これがわたくしのレポートです。。

改めてUTMFの自分のリザルトを見て、出来の悪いテストの成績を見るようで頭が痛いのですが、初めての100マイルレースを思い返してみました。いつも長い投稿で恐縮しているのですが、今回はより長いです。すみません。。たいしたことは書いていませんので流していただいて結構でございます……写真も一枚しかありませんしね。。


スタートからA1まではどうということはありません。河口湖畔を走り、林道に上がり、いっとき強い雨が降りましたが、淡々と登るだけです。登りはほとんど走らず最初の山に入ります。A1の富士吉田ではトイレの混雑があり、二十曲峠の関門締め切りに焦りましたが、関門時間が延長された後に撤廃されたとのこと、、いろいろなご判断があったのでしょう。。

ランナー諸氏におかれてはご存知のように、A1~A2は杓子山下りの大渋滞だったんですな。距離は15kmくらいなのに、わたくしは4時間31分もかかっています。

渋滞の滞留時間は1時間強だったのですが、それがなくても通過に3時間30分はかかった、ということです。渋滞に塞がれている間、ごまおGMと、この場で知り合った神戸の女傑氏と、寒さに震えながら語らっておりました。

A2二十曲峠からA3山中湖きららまでは7kmくらいを頑張って走り、9分弱の休憩をとりました……ちょっと休憩し過ぎですかね。。ここで39.3km。8時間30分もかかってます。。44.24kmのキタタンでもベストが7時間24分ということを考えるとやはり険しいですなあ、、

で、A4のすばしりでは31分も休憩を取っています。頼りになるサポータームネさんにいろいろとお世話していただき、安心したのでしょう。そう言えば、ここで初めて座って休憩しましたな。と同時に、ここで関門タイムとの戦いのゴングが鳴ったのでした。

次のA5富士山御殿場口太郎坊まで9.9kmで残り2時間15分。。元気いっぱいならたいていの山でも大丈夫でありますが、A4で既に55.7km。ムネさんに「A5で待ってるよ! 絶対に来てよ!」と気合いを入れられなかったら多分アウトだったでしょう。。

A5までの最後の700mは砂礫の登りで、残りタイムは20分。もがきながら登っていると、下ってきた白足袋レジェンド平野隊長がわざわざ立ち止まってくれて「まだ20分あります。絶対間に合います! 絶対に行けます!」と熱く励ましてくれ、すぐ後ろから来たふるいっつァんとも力強いハイタッチを交わしました。

そこからの登りは、自分で言うのも何ですが、ブルドーザーのようでした! 前にいたランナーを全員抜き去り、13分を残してA5 in のマットを踏みました。

ムネさんが「よくきた! よかった! 余裕余裕! 頑張れ!」と声を掛けてくれたのも大きかったですねえ。A5 ではほとんど何もせずに脱出。1分36秒しかいなかったようです。。

A6水ヶ塚までは6kmのロードの登りです。野辺山ウルトラか!……と思いながら走ったり歩いたり。。野辺山、エントリーしなくてよかった、と心から思いながらのもがきでした。

ここの関門inはクローズの12分前。去年のSTYで知り合った赤木さんに気合いを入れていただき、5分ほどでOut、、距離的にはほぼ折り返し地点となるA7こどもの国まで、残り2時間で10kmです。

いつの間にか《関門時間を追いかける旅》になっています、、というより《債権者に追われる逃避行》になったようで、自業自得の刃渡りランを満喫するはめになりました。。

ロードからトレイルに入ると、いきなりイエティのスキー場のゲレンデを下ります。既に脚が崩壊しかけていて、リタイアの要因となった右スネが燃えるような痛みに。。だいたいゲレンデなんて滑って降りるもの、走るなんて愚の骨頂、、と思っていたのですが、今さら嘆いても仕方ありません。。

正直なところ、もう諦めてました。10km~15kmごとに関門ギリギリ in & out をして、毎度借金取りに追われるように走れば、わかった、債権者よ、俺を煮るなり焼くなりするがいい、という気持ちになってしまいます。。

しかし、「残り3.8kでA8ですよ~」と言われた時に時計を見たら残り45分。またまた微妙なんですな、これが。死ぬほど頑張らず、そこそこ頑張れば間に合いますが、ただ漫然と歩けば間に合いません。罪ですねえ、ほんと。。というわけで、そこそこ頑張っていたら元気が出てきて、A8には関門クローズ8分30秒前に入りました。。

何でこんな自転車操業みたいな走りをしてるんだ、俺?……と思いながら林道に出ると、A8を通過したランナーたちが応援してくれたのは前にお書きした通り。

平野さんともすれ違い「来ましたね! まだまだいけますよ! 負けないでください!」と背中を押してくれました。涙にくれながら関門inをして、ムネさんを始め、コッシー師、ごまおGM、Miki監督代行と再会した時は遭難から救われた気がしました。

しかし、A7で出来ることはほとんどありません。ドロップバックの品などほとんど触ることが出来ず、ムネさんが用意してくれていたカップラーメンなども見るだけ。。

6分11秒で外に出たのですが、何をしていたのか覚えていません。痛む脚などほとんどケア出来ないまま外に出ただけです。しかし! A8の西富士中学校では神戸から来てくれたスーさんが待っています。ムネさんには「ちょっとスーさんに会いに行ってきます」と言って出発しました。

そこからウォーターステーションのある粟倉まで15km弱、、下りの比率が多い林道ですが、脚が Game Over だったので2時間43分もかかっています。途中でコッシー師、ごまおGM、Mikiさん、りょ~まさんと会い、会話しながらでしたが、やっぱり長い林道でした、、

粟倉ではやいちゃんにあって元気を吸い取られ……いやいや、元気を受け取り、Mikiさんと会い、彌生さん、ふるいっつァんと会い、悲喜こもごもありつつ、残り10kmの鉄塔コースに入ります。

この「鉄塔連発・いやらしいアップダウン」コースは8kmくらい続き、その後はロード2km程度で西富士中学校なのですが、この鉄塔コースはいけません。

「UTMF・いらないコースアンケート」があれば、わたくしは迷うことなくこの鉄塔10kmを選びます! しかも暑い! じりじりと焦がされながらのランはほんとに心が砕かれました。。

憎しみの鉄塔区間が終わり、ロードと短いトレイルを繰り返すと、ついに川沿いに出て西富士中学校まで1.5km、というところにきます。もうこの時、わたくしの右スネは完全に Out of Service の状態で、西富士に辿り着いたらまずメディカルに診ていただこう、と考えておりました。

すると目の前に見覚えのあるランナーが。。二十曲峠の手前で脚を捻挫してからもだましだまし走り続けてきたりょ~まさんです。

追いついて声をかけると、痛めた脚をかばって走っていたらついにこのペースでしか進めなくなった、とのこと。時速2kmも出ていないようでした。それでも「A8までは自分の脚で!」という心意気に感動しつつ、しばらく一緒に歩きました。

2年前のSTYで、最初の7kmで肉離れをおこした際、UTMFを走破中のりょ~まさんが並走してくれたのを思い出しました。あの時、脚を引きずる失意のわたくしと一緒にしばらく走ってくれたのです。胸に迫るものがありましたねえ。。2人で西富士中学校に入ったのは14:22。粟倉からの10kmに2時間41分もかかったことになります。。

すると計測マットの先にスーさんが! 年末の高尾山~陣馬山往復タイムトライアル以来の再会! 飄々としつつも熱い男と5カ月ぶりの再会でした。

富士山や八ケ岳なとでしのぎを削った盟友との再会は嬉しいものです。死にそうなほどキツい104.4kmの旅をしてきたからにはなおさら。感激しすぎて写真を撮れなかったのは最大の失策でございました。。すみません!……富士登山駅伝の際に是非また。

ここでメディカルに診ていただいた際、ドクターストップがかかったのは先般お書きした通り、、104.4km・23時間22分15秒の旅でございました。過去2回に比べてかなり厳しくなった関門を何とかクリアして辿り着いた西富士ですが、不甲斐なくもここで力尽きた、というわけです。。

こういった長いレースではよく知らなかった自分で出会えると言われますが、わたくしは「弱い自分」と出会えました。。これが収穫なのか何なのかはわかりません。

とにかく夢中で前に進んでいたけど、よくわからないものにぶち当たってレースが終わった、という感じです。レースに対しても、自分に対しても、知らないことがまだまだたくさんありますねえ。。

と、以上が自分のリザルト……タイムリスト……を見ながら思い出して書いた雑感です。長すぎると思いますが……いつも長いですが……UTMFのようなレースは要約出来ませんのでこのようになってしまいました。。ご容赦くださいまし。。

富士登山駅伝チームの仲間たちの多くが完走しました。知人友人たちも完走。お見事です。次はわたくしの番です! と息巻きたいところですな、、来年どうするにせよ、準備だけは怠りなくしたいものです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
いい夜を!