ガイウス・マエケナス | しろグ

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ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの「左腕」と言われた男。

「右腕」と呼ばれたアグリッパが軍事全般を担当したのに対し、この男は外交交渉を担当。アウグストゥスが21歳の頃にフィリッピの会戦中で出会い、その当時のアウグストゥスの名前はオクタヴィアヌス。オクタヴィウス・ジュニアだった頃だ。アグリッパは後にオクタヴィアヌスを養子にした時、かのユリウス・カエサルが、軍事面ではからっきしダメの“息子”にその分野での不利を補うためにつけたのだが、マエケナスはオクタヴィアヌスが自分で選んで片腕とした。

ローマは、公職を努め、その階梯を登っていくことが男子一生の誉れと言われていた。公職でキャリアを積み重ねていくことは「名誉あるキャリア」と呼ばれ、ローマの男では最高の生き方とされていたのだが、アウグストゥスがマエケナスに望んだのは、最高権力者の意を汲んで自在に活躍すること。法治国家であるローマでは、官職にはそれぞれ明確に任務が定められていて、その職域を越えることは許されていない。そういうわけで、マエケナスは公職キャリアを全て捨て、アウグストゥスの片腕として生きることを選んだ。そう決めたのはまだアウグストゥスがオクタヴィアヌスの頃のことで、カエサルの養子だということ以外は何も定まっていなく、彼がカエサルの後継者となって最高権力を握るなど、誰も想像だにしなかった若き日のことである。

マエケナスにはオクタヴィアヌスの願いを受けて立つ気概があった。血みどろの権力闘争の最中、カエサルを暗殺した側のブルータスを破ったフィリッピの会戦の後では、まず強大な勢力であるアントニウスとの関係改善に力を尽くし、一方でそのアントニウスの動きを掣肘するためにポンペイウスの息子との妥協を演出。ついにアウグストゥスが最後の勝利者になる日までの10年間、彼は秘密交渉役に徹したのだった。

苛酷な内乱も終わり『パクス・ロマーナ』を確立しつつあった頃、アウグストゥスは彼を、今で言う文化広報担当に任じ、新生ローマをどのように紹介するかを任せた。我らがPRエージェントの偉大な先達でもある。同時に彼はアウグストゥスの私設顧問のような存在となり、かけがえのない相談役となった。教養の深さ、認識の確かさ、平衡感覚など、どれをとっても一級品だった。

マエケナスは文化の助成にも力を尽くした。ラテン詩人の巨人と言われるホラティウス、ウェルギリウスを始め、彼の周りに集まった芸術家(詩人が多かったらしい)たちを後援した。彼が助成したこれらの詩人や文人が新生ローマ、アウグストゥスが進行中だった“パクス・ロマーナ”の広報担当を務めたのである。ちなみに、ウェルギリウスはダンテの『神曲』の地獄編と煉獄編で案内役にされた。

このマエケナスという名前から、「マエケナスする」……つまり「メセナする」と言う言葉が生まれた。マエケナスのフランス語読みがメセナであり、メセナ活動という言葉で後世に残った。“企業の文化助成”というほどの意味だろうが、この言葉は2,000年前のアウグストゥスの左腕の名前から来ている。

本来であれば肖像画をアップしたいところだが、この人のものは一切残っていない。公職につかないと、そのような栄誉に浴することはほぼないらしい。

※参考文献:『ローマ人の物語4~パクス・ロマーナ』塩野七生著 新潮社