母の思い出を巡る・湯原温泉の旅
(湯原温泉で助けていただいた皆様へ お礼と感謝)
昨年、95歳の誕生日を迎えた翌日に、母は天国へと旅立ちました。
今年になり、ふと母が私の子供の頃によく語ってくれた幼少期の思い出がよみがえり、
母がしばらく暮らしていた真庭市・湯原温泉を訪ね、母の足跡をたどる旅に出ました。
思い立ってすぐの旅だったため準備不足もあり、
結果として多くの方々にご迷惑をおかけすることになりました。
これは、その時の出来事と、お世話になった皆様へのお礼の気持ちです。
■ 5月7日(木) 湯原温泉へ
まだ肌寒い朝、新幹線で岡山へ向かい、そこから姫新線で津山駅に着きました。
ここが母の生まれた故郷です。
津山は、北・西を中国山地、東を美作台地、南を吉備高原に囲まれた盆地で、
のどかで優しい人々が暮らす場所です。
子供の頃、学校が休みになるたびに一人で遊びに来ていました。
母の従弟にも会い、昔話を2〜3時間ほど語り合い、
先祖のお墓参りも済ませ、懐かしい時間を過ごしました。
その後、再び津山駅に戻り、姫新線で中国勝山駅へ。
そこからバスに乗り、湯原温泉に到着しました。
母が幼少期を過ごした真庭市の地です。
■ 静かな温泉街と、母の記憶
街の中心には旭川が流れ、上流にはダム、そして天然の砂湯。
私が訪れた時はゴールデンウィーク明けでお店も閉まっており、
温泉街はとても静かでした。
旭川にはニジマスが泳ぎ、アヒルやカモの親子がのんびりと過ごしていました。
その静けさが、旅の郷愁をより深くしてくれました。
宿の屋上には大きな露天風呂、大浴場、小浴場があり、
スタッフの皆様も親切で、快適な日々を過ごしていました。
この地域は、国の特別天然記念物であるオオサンショウウオの生息地としても知られています。
地元では「ハンザキ」と呼ばれ、「半分に裂かれても生きている」と伝えられるほどの
強い生命力に由来すると言われています。
■ 5月10日(日) 川沿いで倒れた出来事
3日目のお昼、昼食を終えて川沿いのハンザキ公園で
カフェラテとジェラートをいただいていた時のことです。
突然、意識を失いました。
一度立ち上がろうとした記憶はありますが、
二度目に完全に倒れたのだと思います。
気がついた時、
そばで私の手を握り、声をかけ続けてくださっていた男性の方 がいました。
その方のお顔は、今でも忘れることができません。
さらに、釣りをしていた方、若い男性の方が
ティッシュで丁寧に顔を拭いてくださりました。
皆さまに救急車まで呼んでいただき、
その時は視界もはっきりせず、
どれほど多くの方に助けられたのか分かりませんでしたが、
本当に多くの方々が力を貸してくださいました。
また、私を落合病院まで運んでくださった救急隊員の皆様、
病院の先生、看護師の皆様にも、心よりお礼申し上げます。
■ 助けてくださった皆様へ
あの時、湯原にいらした皆様のおかげで、
救急隊員や病院の皆様が連携してくださり、
大事に至らずに済んだのだと思います。
母の思い出の場所で、
私は多くの方々に命を助けていただきました。
その事実が胸に深く刻まれています。
心よりお礼申し上げます。
そして、ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
ありがとうございました。
津田眞人
(写真のあたりで助けていただきました)







