寒さも少し和らぎました。お天気が崩れる前兆なのかな。
夕方前の曇り空を見ながら自転車を漕いでいると、一瞬春の気配を感じました。

「冬木遼太郎展」(サイギャラリー)は、そんな冬空を映し出すように、鏡で構成された展示でした。




「STOP THE TIME」。あまりにも明快なメッセージなので、逆にすんなり心に入ってきます。そんな心の中を見透かすように、鏡に映った自分の姿を確かめてしまいます。


クールベの自画像を円い鏡の裏面に描き、それをさらに別の鏡が映し出す作品。写実主義の巨匠が鏡の世界の住人のように見えます。

ギャラリーヤマグチでは、「五十嵐彰雄」展を見ました。こちらもモノトーンの世界です。


一見、黒い線を引いただけように見えますが、実は最初にカンバス全面を黒く塗りつぶし、円い形だけを残して、削り取るという作業によって出来あがっています。したがって、近くで見るとカンバスの布地は、ほとんど穴が空きそうなほどスケスケの状態になっています。


こちらも同じです。ストライプ模様に絵具を擦って剥がしているわけです。


アップで見るとこんなふうに、ボロぞうきんのように擦れています。
執念ですね!

そして執念ではないのですが、女性の情念のような作品がギャラリー1963の「池上あさこ 君しか見えない。」です。


ひたすら手元しか見ない刺繍という手作業を、恋愛の近視眼的な心理状態とダブらせた作品と解釈すればいいのでしょうか。




男性にとって、たとえば彼女からもらう手編みのマフラーは、女性の情念が凝縮された存在なんですね。それは、憧憬と恐怖の中間というか、実に不思議な感情を引き起こすのです。ふと思春期に、初めて女の子からもらったプレゼントのことなどを思い出してしまう、そんな内面性が表出された展示でした。


Oギャラリーeyesでは、日下部一司さんの個展を開催中でした。



去年来、ギャラリーヤマグチや京都のギャラリースズキなどで日下部さんの作品を見る機会があったのですが、念願かなって、初めてご本人にお会いすることができました。



ギャラリーヤマグチでは、ミニマルな平面作品ばかりでしたが、今回は立体や写真も含め、彼の制作の多様性をうかがいしることができました。



こちらは漆を塗った作品。表面のツルツルした仕上げが大変チャーミングです。形が歪んで見えるのはもともとの形です。

近所のギャラリー白では、こちらは1年ぶりとなる陶芸家杉山泰平氏の個展が開かれていました。






お馴染、素焼きのままの陶片を微妙なバランスで組み合わせた作品。
今にも崩れ落ちそうな緊張感が、脆い陶の物質感と相まって、強いインパクトを与えています。


壁付けの作品は、落ち葉のような儚さを漂わせています。シルエットも効果的です。

最後に、橘画廊の「加茂昴展 逆聖地」です。


個展タイトルにもなっている《逆聖地》は、横730cmの超大作!!
彼独特のグラデーションのかかったストライプが縦横に画面を滑っています。その伸びやかさ、そして描き出された世界の不思議さに飲み込まれるような感動を覚えます。

実は私、2年ほど前に加茂氏の作品を1点購入しました。



瀬戸内海で描いた夕焼けの作品で、一目見た瞬間に心奪われて衝動買いです。
今回の作品も欲しかったのですが…。お金が…。
でも、やっぱり優れた作家であることが再確認でき良かったです。

寒風吹きすさぶ中、王子公園の横尾忠則現代美術館に行ってきました。


お天気は良かったんですけどね。
年末から始まってた「幻花幻想幻画譚」展をようやく見に行くことができました。


瀬戸内寂聴さんが1974年から75年にかけて、新聞に連載した小説の挿画を横尾さんが描いたもので、すべてペンと筆で描かれた白黒画です。


小さな画面に細密な線で描かれた原画が全部で371枚。すべて額装されて展示されていました。


今年、横尾さんは満80歳になられますから、当時は40歳前後。まさに絶頂期です。
驚くべきは、こられの細密画が、いっさい下書きなしで描かれたということです。そのデッサン力、描写力、そしてその想像力の超人的なことといったら、ただただ驚くばかりです。


それにしても、どんな小説だったのでしょう? 出版された本はもう絶版になったということで、あらすじから連想するしかありませんが、まさかUFOが出たりはしてないはずです。横尾さんの作品は、挿画という領域を逸脱してたのでしょうね。
小さいうえに点数が多くて少々疲れますが、見ごたえはありました。拡大鏡を貸し出して欲しかったなあ、というのが希望です。

YTMOCAを出た後は、お天気がよかったので、そのまま歩いてBBプラザ美術館へ行き、さらに兵庫県立美術館の「モランディ展」を見に行ってきました。





いろいろいい評判を聞いていたので、行く前から楽しみでした。
展覧会も、まあまあ良かったです。決して大作を描くことなく、静物画を極めた彼の画業は、他に類を見ないのではないでしょうか。一見すると誰にでも描けそうで、でも決して誰も描くことのできない絵。そんな印象を持ちました。でも、やっぱり一度チャレンジしてみたいです(無理でしょうねえ)。


帰りは阪神岩屋駅から電車に乗ったのですが、いつのまにこんなに派手な看板に変わったのですかね。

すっかり久しぶりのブログになってしまいました。
年末から年始にかけて仕事が忙しかったのと、ギャラリーもお休みだったんですよね。

ということで、今年初めての展覧会をやっと和歌山まで見に行くことができました。
近代美術館で開催中の「村井正誠展 ひとの居る場所」です!




さすがの南国和歌山も、冬の曇り空で寒々しい感じです。


おなじみ、バーバラ・クルーガーとフランク・ステラがお出迎え。

そして展覧会場へ。


村井正誠(1905-1999)は、生まれは岐阜県大垣市ですが、幼少時に和歌山県の新宮に移り住み、20歳で文化学院大学部の一期生として上京するまでを過ごした、いわば和歌山ゆかりの作家です。というわけで、和歌山近美には、戦前期からの村井作品が多く収蔵されているのですが、今回は、これに東京の村井正誠記念美術館所蔵の作品を加えた、大規模な回顧展でした。


日本の抽象絵画の先駆者の一人と言えるでしょう。
1928年から1932年までフランスで過ごし、帰国後、長谷川三郎、山口薫らと新時代洋画展、自由美術家協会を設立。戦後は、武蔵野美術大学の教授となり、海外でも作品が紹介されるなど、生涯活躍した人です。





明快なフォルムと鮮やかな色彩、それらを構成して、詩的な造形世界を作り出す彼独自の作風が、私もひと頃大好きでした。


これがその証拠。もう25年以上も前に購入した村井さんのリトグラフ作品です。今でも我が家の玄関に飾られています!

久しぶりに村井さんの作品を見て、やはり時代の経過を思わずにはおれませんでしたが、それは悪い意味ではなく、今の時代にはない絵画として、新たな魅力が加わったと解釈することもできるものでした。

京都のギャラリースズキで開催中の「散歩の条件」展は、井上明彦、今村源、日下部一司、三嶽伊紗という、興味深い組み合わせによるグループ展でした。



ギャラリーに入ってびっくり。もともと狭い室内が二層に分けられ、さらに手前と奥の部屋が仕切られていて、どう入っていいのか分からない状態!





ベニヤで仕切られた低い入り口をくぐるようにして進むとこんな状態です。
脚立に登って上に上がることができるそうなのですが、天井が近いので、苦しい体勢になってしまいそうで断念。


4人とも知っているのですが、作品はごちゃまぜ状態で展示されていて、キャプションとかも無いので、4人の合作によるインスタレーションというべきでしょう。


写真あり、素描あり、立体あり、油彩あり。どれが誰の作品か、おおよそ見当はつきますが、それらがとても面白い配置で設置されているので、すべてが一体となって刺激的な空間が生み出されている感じです。
「散歩の条件」とは? そんなテーマを考えながら、しばし狭い空間を堪能してしまいました。

地下鉄東西線で「蹴上」から「二条城前」まで移動し、次は京都市芸大アクアで開催中の「岡崎和郎/大西伸明 Born Twice」展へ。これも見たい展覧会だったので、ギリギリセーフ!


こちらは前者とは真逆で、広い空間内に小振りな立体作品が点在していました。


岡崎さんらしい作品です。


こちらもお馴染、大西さんの樹脂でできたトリッキーな作品。


なんとお二人は40歳以上も歳が離れているのだそうです(もちろん岡崎さんが年長)。でも、過去にも2回、二人展を開いているということは、作品の相性というか、共通する着眼点を持って制作しているもの同志ということなのでしょう。確かに、展示風景を見ても、たいへん綺麗にマッチしています。先ほどの「散歩の条件」同様、全体が一つの世界観を提示する展示といえるでしょう。この二人の作品の場合は、現実と虚構、事物と芸術の境界線を行ったり来たりする、その流動性が静謐な空間の中にピリピリとした緊張感を生み出しています。

2つの展覧会とも12月6日までの会期だったので、最後に見られて満足でした。