皆で手を繋いでゴール

ならぬ

皆で手を繋いで無投票選挙

何が

変えられる

わけ?
今日が特別な日なのではなく、

日常の連続のなかで、

意識的に、

自分の生活との関連を考えること。

毎日生活する為の、
電源エネルギーは、
何処から来ているのか。

どの様に、
造り出されているのか。

過去も未来も、
連面と繋がる、
日常の延長線上に在ることを

一人一人が自分事として、
毎日毎日繰り返し、持続して、
意識して、
生きて行くことが、

共に在ることだと、

覚悟していること。
青少年のこころの中に、

人間の身体に対する危害の与えかたに、

ISLEゴッコ的残虐性を植えてしまった、

インターネットによる不摂生な

動画配信。

カッターナイフ等に依る、

首への殺傷行為から

懸念の種が

窺える。
気づいた時に行動を起こさなかった
総ての人々の共同責任。

情報アンテナの高い役割、立場に居る者が、
気づいた時に行動しなければ、
結果責任を一方的に追及できるとは
思えない。

その行動時に、
障害・障壁・妨害が
存在したのであれば、
それも詳細に公表する必要が有るでしょう。

先ずは、
自らの不甲斐なさも真摯に認め、
反省するところから、
相手側の課題に関して、
言及していく議論の進め方が、
望む整合的な議論展開であり、
建設的な政策づくりと
考える。

総ての議会議員の方々に、
お伝えしたい。

議論に対立構造を
持ち込むことこそ、
テロリズムの一端の表象に
陥り兼ねない、
という
危機管理の共有化が
必要。
テロが生じる根幹を見詰めること無く、

管理対策強化ばかりが
独り歩きしてしまうこと。

憎悪と偏見ばかりの心情的対応で、
科学的見地からの分析・洞察無き
管理体制強化の雰囲気に支配されてしまうことには、違和感と警戒心を抱く。

私たち国民は、
世界史・日本史と言う
歴史観・世界観を育成・醸成する教育を
蔑ろにして来なかったかの
振り返りを、
求められる時期が来ていると
自分事として感じている。
品位の無い情報ネタ

本質的ジャーナリスト不在のこの国

オフレコ情報を
三面記事的流布をし、
ワイドショー化ネタにする。

情報の品質を問わずして、
ネタ情報の流布だけが
独り歩きしている。

そのネタを
正義を振りかざす為の
武器にすることが、

本質的な議論の基軸と
なるのだろうか。

本当に、
品位の無い
議論提案者ばかりの多い
政党の存在には、

失望する。
議論展開の幼稚さ。

感情的に言葉を荒げ、

挙げ足取りで
短絡的な決め付け
思い込みによる、
デマゴギー(真偽が疑わしい内容を、
さも真実であるかの様に
ねじ曲げて報じる)
要素満載の

議論にもならない
雄叫び質疑が罷り通る。

国民としては、
実に聞き苦しい、
耳障りな論理展開。

時代遅れの、
多様性を否定する文化の踏襲

であることを
自覚して
頂きたい。
国会という公的場において、

公人の立場にある役割に、

議論の本質を
すり替える

私的な感想を求める質疑こそ、

その質疑をする者の
悪意ある
質疑により
対象者を陥れ様とする
文脈を感じる。

質疑している内容の品位が
疑わしい。
第二次世界大戦に於ける歴史的認識と我が国日本の反省を自分事として考えた上で、国家と国民としてのアイデンテティ(身元、本質)を考えよう!

国歌の君が代を唄うことと国旗の日の丸を掲げることを、安直に右翼化した軍国主義への傾倒だと断定していく議論を卒業し、

天皇を日本国の統帥象徴とすることを承認し、与えられた憲法を掲げ、アメリカ合衆国の国防の比護の基で享受して来た「安心」と「平和」を見つめよう!

この島国から1歩外へ出た時、一人一人は自由人であったとしても、君が代と日の丸の国の民、「日本国民という看板」を背負っている。

ワールドカップやオリンピックの競技で、自国のチームが勝つことの歓びと誉れ、その時にいつも有るのが、あの日の丸と君が代で有ることを、そろそろちゃんと自覚して、自虐的な後ろめたさから卒業しよう!

国家と国民のアイデンテティ(身元、本質)を確立する議論と教育への振り返りをしよう!

国家を語ることを、議論しようとすることを安直に、右翼化、軍国主義、ナショナリジムへの傾倒だとするレッテル貼りを止めて、今こそこの議論と向き合おう!

グローバルという言葉の意味を掴まえていくためにも、向き合おう!

大切なことは、多数派がいつの間にか全体主義化して、少数を圧殺する構造を見逃してしまうこと。

日本的シガラミだとか、既得権益の内に、この構造が潜んでいることを自覚すること。

そして、最も警戒しなければならないことは、世界中の誰であっても、人命の使い方を道具として強制すること。