物事事柄の急を要する(必要を要する)事項のときに
我が身の立場を置いても(我が身を省みず)現場に在り(駆けつけ)
必要とされる事柄を見抜き
透かさず体を動かす作業を厭わないタイプの手助けとしての
好まれる、望まれる無償の活動を
所謂、社会貢献ボランティア活動とするなら…![]()
【日常・災害時問わず】
方や
緊急事態の山を越え
非日常から日常への転換過渡期において、
本来そこで
暮らす、生活をする、生活をしようとする人々
にとっては、
つまり
救済から自立に向かって
意識を転換し、
行動を推進し、
立ち上がっていくために
生きて生活するための手段としての
『雇用』という経済活動の仕組み・システムが
試行(思考・志向)され始めたのなら、
ある意味での
部外者としての存在になる、
無償のボランティア活動と
ボランティアの人々は、
本質的自立の邪魔になる場合が多々ある。![]()
その地における
本質的自立を促し、復興推進を支援するためには、
潔く
手を引くこと…(撤退するか)
または…
見守りのスタンスを確立して、
現地・現場との距離を置かなかれば、
いつまで経っても
本質的な当事者の心根に存在している
「依存心」という心根の本質からの脱却がはかれない
「似非『復興・再興』」という、
構図に陥るのではないだろうか。
![]()
実のところの「依存心」という課題は、
被災地に限らず、
個の確立と社会との適切な距離観の育成が
未成熟な我が国日本においては、
かなりの
致命的課題なのだが… ![]()
当事者自らが立ち上がっていく『本質的復興・再興』
では無く、![]()
当事者抜きの
『代理事か他人事の復興・再興』の絵図を
描くことでしかなくなるのではないだろうか
![]()
どんなに
現場において
試行錯誤や
苦悶の苦闘が展開されたとしても、
『雇用』という経済的な仕組み・システムが
確立されようとするなら
良心的に関与している人々であっても
無償のボランティアで展開されている作業の第一線から退き
歯がゆくても、手を拱きながらでも、
側面的に現場を支援する在りかたこそが、
災害からの復興・再興のための
ボランティアとしての
本質的支援だと考える。 ![]()
今回の地震という天災から学ぶべきことは、
人類の未来にとっての警鐘を見抜くことであり、
被災・災害からの復興・再興が、
未来へ生きることへの継承を示唆している事柄の
構築をすることだろう。
元に戻ることから、創造にむけて前に進むこと、
我が国の自立を促すための契機として
受け止めることだと
考える。
そこには、人類の生活を語るツールとしての
福祉の哲学概念(理念)が有効なはずである。 ![]()
①普通の生活―ノーマライゼーションの実現
ノーマライゼーションとは、
「弱者」への配慮ができない「排除」の構造を持つ社会を
あたりまえとしない考え方である。
②地域福祉(コミュニティケア)の実現
「人間らしい生活」とは、地域のなかで、馴染みのある場所と
人との関係から営むことのできることにほかならないという
視点の確立。
③主体性の尊重
つまり、自らが主体的に自らの人生におけるさまざまな出来事
に対して決定することの重要性としての「自己決定」力の尊重。
④生活の質の向上(Quality of Lifeの視点)
「人間らしく生きる権利の回復」としての生活の質、人生の質を問う
全人間的権利の復権をめざす、広い意味での『リハビリテーション』
を指向すること。
この「福祉の理念」による
「人間らしい生活」を保障することが、
政治の役割の一端のはずである。 ![]()
私見だが、
人類の地球上における『自立』とは、
『危機管理能力』と『自己決定能力』の構築と確立
だと確信している。 ![]()
それは、
『施し(ほどこし)』を必要とせず、
どのような状況になったとしても、
人間は存在していることに意味があり
自らの中に
乗り越えられる、
闘える(闘う)力を所持して
生まれてきている
という私的哲学から出発しているからだ。
前述のような崇高な理念は、
介護に従事するために学習する
介護ヘルパーという福祉事業従事者
だけの意識付けだけではなく、
無償で活動する全てのボランティアの理念としても、
共有されるべき理念であることも
この機会に申し添えておきたい。