スイスとスイス銀行の歴史 今回紹介する企業はクレディスイス、投資銀行やプライベートバンキング、金融関連でいろんなサービスを展開している企業。スイスといえば永世中立国だが、中立を守るために防衛に力を入れてる。

 

 スイスについて簡単に紹介すると、正式名称はスイス連邦、ヨーロッパの中心にあり多くの国に囲まれた内陸にある国家。日本の九州よりも小さく、南にはアルプス山略、ほとんど北に都市が固まっていて、人口は870万人。こんな地形なので農業がやりにく、土地柄で産業が育ちにくいため傭兵を産業にしいた。

 

 各国の中心にある国なので商業が盛になり、外国人も移りすむようになり、発展したのが時計産業。他にはスイスは金融業が盛んで、ジュネーブの銀行家などはオランダ東インド会社やイングランド銀行の資金調達を助けたと言われている。欧州の中心にあり、政治的に中立なのもあって、欧州で戦争などが起きて混乱すれば資金の避難先にスイスの銀行を選ぶ。

 

 なのでスイスの銀行はウェルスマネジメント、個人が保有する資産を管理するサービスが充実してる。スイス銀行で有名なのが守秘義務の徹底。スイス銀行は300年以上前から捜査当局などを含めて顧客情報の開示を拒んできた。1934年にスイスの法律でも秘密を守ることが求められていた。アニメや漫画とかでもやばい資金を扱う時にスイス銀行の名前が出てくる。これらがスイスが金融立国になった要因。有名な言葉だと

 

「スイスの銀行家が窓から飛び出したら付いていけ、きっと儲かるに違いない」

 

 

 

 

クレディ・スイスの歴史 クレディ・スイスが設立されたのは1856年、スイスの事業家アルフレッド・エッシャーが前身である、スイス信用銀行をチューリッヒに設立した。銀行を設立した目的は、鉄道の資金を集めるため、これでスイス北東鉄道ができた。他にも食品製造など様々な事業に出資、実質的にベンチャーキャピタルだった。

 

 1978年にファーストボストンというアメリカの都市銀行の経営権を取得、クレディ・スイス・ファースト・ボストンに改名。97年にクレディ・スイス・グループとなった。クレディスイスは投資銀行の性質を強めた、特に西海岸への投資に力を入れた。この後ITバブル崩壊で利益が損失になった。

 

 それで旧東ドイツ出身の社長を据えてクレディスイスは見事復活を果たした。さらにこの後、世界金融危機リーマンショックが発生するが、実はクレディ・スイスは金融危機の影響をあまり受けなかった。当然ゼロというわけじゃなく、サブプライムローンの評価損を約9億ドル、レバレッジド・ローンの評価損も同規模計上したのみで影響は軽微だった。政府からの支援も必要がなかったのでポジティブな評価を受けている。

 

 一方で同じスイスの銀行である世界屈指の金融機関、UBS、ここはサブプライム問題で大打撃を受けて40億スイスフラン、約3900億円の損失を被った。結果、外部の資本注入が必要となり130億フランを受けた上、スイス政府から5000億円の自己資本注入と6兆円近くの不良資産買取りを受けた。これでクレディ・スイスはスイス内で圧倒的な勝者となった。優秀なスイスの銀行として世界屈指の規模を誇る、現在ではブランドが消滅した。

 

明日も紹介しますので、良かったらチェックしてみて下さい。

 

 

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