新聞の歴史

 今回紹介するのは新聞社。新聞の歴史は古く、新聞の源流は瓦版と言われ、一番古いものだと400年以上遡り「大阪の役」と言われている。世界的に見ると1300年前の中国でもあったようだ。時代は幕末、ペリー来航もあり海外にあった新聞が日本にも出始めた。最初は英字新聞が出始め、初の日本語新聞が「管板バタビヤ新聞」というもので、この頃あったのが大新聞、小新聞。大新聞は意見を述べたりする論説中心でインテリ層向け、小新聞は大衆庶民向けの娯楽中心のタブロイド紙的なものだった。という感じに分かれてたが、だんだんその垣根はなくなった。

 

 それで毎日発行される「日刊新聞」が1870年に誕生。1874年に現在最も部数がある「読売新聞」79年に「朝日新聞」が創刊された。日露戦争をきっかけに新聞で戦争の様子を知ることができるようになった。

 

 戦争の講和に納得いかなかった人々は、講和賛成を唱えた国民新聞社や、内務大臣官邸を襲う日比谷焼打事件が起きた。戦時中になると新聞は統制され、その方法が新聞紙の配給割当。東京・大阪を除いて1県1紙という原則を打ち出し、新聞社は1936年1000社以上あったが、43年には55社に統合された。

 

 戦後になると新聞社は急激に成長した。団地ができれば一気に千部単位で増え、

 

「座っているだけで売れた、向こうから購読の申し込みが来た」

 

当時の情報はテレビ・ラジオ・新聞ぐらいしかなく、新聞は貴重な情報源だった。

 

 集金が多すぎて販売店ではリンゴ箱がぎゅうぎゅうになったそうだ。新聞社はどんどんと部数を増やし、66年朝日が500万部を達成、翌年読売、4年後に毎日が500万部達成。70年代に入っても朝日と読売はどんどんと部数を増やした。毎日新聞は

 

「たくさん投資するために借金増やしすぎたところに石油機がやってきた」

 

さらに西山事件というのをやらかして、毎日が叩かれるようになり部数は伸びるどころか減ることに。その隙を逃さず、朝日や読売が美味しくいただいた。それで、読売1000万、朝日800万、毎日400万、その後日経・産経が続くという構造となった。

 

新聞社の仕組 これが全国紙というやつで、その他に複数の都道府県で販売するブロック試・県紙などがあり、一般紙と呼ばれるものだ。あとはスポーツ紙や夕刊紙・専門誌・業界紙などもある。今回は一般紙、特に全国紙中心に紹介するが、新聞社の収入は主に2つ、1つが新聞の中に掲載される広告収入。たまに怪しい本とかの広告があるが、広告審査は行われてるらしく、昔あった豊田商事などは外されたらしい。

 

 もう一つが新聞の販売収入。販売方法は駅の売店やコンビニで販売する店頭売り。一番多いのが販売店を通して配達される戸別配達。日本はアメリカに比べて戸別配達率が高く、新聞社の安定経営が実現でき、戸別配達は9割以上。新聞社が配達人員を確保するために専門の人はもちろん、学生や主婦なども積極的に集めた。配達員は多い時で48万人いたらしい。

 

 また新聞は再販価格維持制度の指定を受けてる。要は定価から勝手に値引きをしてはいけないというもの。新聞は都心は安くして、地方は輸送コストがかかるため価格差をつけたら買えない人がいて不公平になる。あとは自由競争になり販売店が値引き合戦をし始めたら新聞社は、部数は増えるけど利益は減る、そうなると人員削減や経費削減がされ、国民の知る権利が害される。

 

 新聞社は早くからラジオやテレビ局に進出していて、今でも系列という形で関わっている。この形で日本国民の知る権利を守り続け、市民の力、第四の権力として君臨し続けているのが新聞社。しかし、今では発行部数の減少がヤバすぎて赤字になってきた。

 

新聞社と販売店と積み紙

 新聞が衰退した理由だが、明確には分かってなく、いろんな説がある。最も大きな要因とされているのが販売、特に販売店と新聞社の関係性。戦後になると新聞社と販売店は直に取引で主に専売制という形を取った。専売制は販売店が売れるのは一つの新聞だけということ。また、販売店にはテリトリー制があり、販売する地域が決まっていることが多い。

 

 つまり、売るモノは決まっていて、売る地域も決まっていて、販売価格も決まっている。これらが理由で販売店の力を抑えつつ、新聞社は定価販売を維持することができた。さらに、その価格も問題だった。

 

 戦後、夕刊が再開された時、毎日新聞は値段を据え置いた。しかし、売れたのは値上げした読売と朝日。要因はページ数の増加、当時の新聞は貴重な情報源、娯楽という側面もあり、人々は情報に飢えていた。それで値段を釣り上げても買われた。

 

「新聞は安くしても売れない」

 

こういう考えがあり、デフレ化でも値段を引き下げなかった。こういう状況下の中、新聞社の販売担当は販売店に対してもっと仕入れるようにプレッシャーをかける。しかし、ボーナスステージは終了、高齢化、景気悪化で増やすのは絶望的、それで新聞拡張団とかが拡張するわけだが、それもコストかかる。

 

 新聞社は販売店に対して補助金や奨励金という形で一部でも販売するようにハッパをかけた。それでも増えなかったら、

 

新聞社「注文する部数を増やせ」

 

販売店「もう無理です」

 

新聞社「お宅は成績悪いです、このままでは販売店をやめてもらおうかな」

 

販売店「すいません、言われた通り部数を増やします」

 

と、圧力で注文数を増やしてもらう。しかし売れないため在庫として抱える。売れなくても新聞社から補助金などがもらえる。あと、新聞にある折込広告の実績も増え収入増につながる。それで新聞社も部数を増やすと実績が増え広告収入が増える。

 

 これが残紙というもので、販売店が抱える配達されない新聞のこと。この新聞社が販売店に仕入れを強要するようなことを押し紙と呼ばれている。これ問題であるが、新聞社側の言い分は、

 

「これは押し神じゃなく、積み紙です」

 

要は在庫、残紙があってその中の押し神は新聞社が強要するもの、積み紙は販売店が自ら必要以上に注文するもの。新聞社の主張は積み紙、あくまで販売店が自主的に用意した在庫と主張したいわけだ。そんな主張をするのは、独禁法において押し紙が禁止されてるからだ。

 

 押し神は発行部数の3割もあるとという噂もあれば1割以下というのもある。当の本人たちが調べて公表してないから分からない。こんなんだから広告主もブチ切れ、折込広告の会社に裁判を起こしたりもした。あとは販売店もブチ切れて、新聞社と裁判に発展した事例がいくつもある。

 

 

 

 

にほんブログ村 株ブログへ にほんブログ村 株ブログ サラリーマン投資家へ