今回は、橘玲さん著『無理ゲー社会』という本について紹介します。本書を一言でまとめると、そのタイトルの通り

 

「もうこの社会無理ゲーじゃない」

 

と、この社会を無事に生き抜く難易度が完全にバグって「クリアできる気がしない」そんな内容です。何が無理ゲーなのか「ただでさえ残酷な資本主義社会から、より残酷な能力主義社会に変わってしまった」。残念ながら、無理ゲーを強いられるのは一部の人達で、上級国民の方々ではなく、不運にも能力低めの方々で、そんな人たちはこんな仕打ちを受けることになります。

  1. 努力不足とを論破される
  2. 非モテが加速する
  3. 政府も助けてくれない

こんな悲惨すぎる展開です。この残酷すぎる現実から目を背けずぜひ知っておきたい、能力主義社会を取りきれる自信がある人にとっても、自信がない人にとっても関係のある話で、今後この社会で起こりうる出来事です。これからの時代「自分らしく生きる」という特権を手に入れる人がいる一方で「何で自分らしく生きないんだ」とプレッシャーを受け続ける人もいる、その残酷な事実が明らかとなります。

 

①努力不足とを論破される ここが今回の「サビ」ですので、ぜひここだけでも覚え置いてください。これからは資本主義社会ではなく、より残酷な能力主義社会になっていきます。今までの資本主義社会「お金こそが正義の時代」より、能力が全てとされる能力主義社会のほうが言い訳ができません。

 

 お金がすべてであれば、そこには「親からの遺産を受け継いだだけのお金持ち」「宝くじや投資で1発当てただけの」ような自分の頑張りとは関係ない成功者がいたわけです。お金持ちじゃないとしても、それは頑張りとは関係ない場合もあり、言い訳がしやすかったんです。自分自身も言い訳しやすかったですし、社会全体としてもわきまえてくれていたので「努力不足だ」と追い詰められるようなことは少なかったです。

 

 ただ「時代能力主義社会」は違います。最も大きな成功を収めるのは「お金を持っている人」より「才能と努力を極め類まれな能力を持っている人たち」です。お金を持っているだけでは銭ゲバ扱いされてしまう、どんな才能をもって、どんな努力をしてきたかが重視される時代です。

 

 ここでポイントになるのが「才能」だけじゃなく「努力」も含まれているところです。成功するための決定的要因は、生まれもっての家柄じゃない、才能だけじゃない「後天的な努力でも成功できる」そんな主張がまかり通る能力主義社会では「成功できてない=努力不足」と認識されてしまいます。自己責任という表現もできますが、各方面から攻め立てられてしまいます。資本主義社会の時は、成功してなくても「家柄」「運」の要素を踏まえて同情してくれたはずの社会が、急に「なんで成功しないの」「怠けてるの」咎めてきます。

 

 恐らく、意識高い方々は「能力主義社会でいいじゃん」と、こんなに環境が整ってるんだから、成功してない、出世してない、お金稼いでない、なんて努力不足だと思う方もいるかもしれませんが、はそうではありません。なぜなら、我々に備わっている能力さえも運次第でであり、「才能はそうかもしれないけど、努力は今この瞬間からできることです」と言わないで下さい。

 

 なぜかというと、本書でも語られていますが、努力できること自体が一種の才能で、遺伝的要因が影響しているからです。これは大規模な研究、合計145万人もの双子を対象にした分析によって「努力がどれだけ親からの遺伝に左右されるか」遺伝率というものが算出されています。

 

 結論「努力できるかは遺伝的要因で大いに左右されます」努力に関する項目、集中力で言えば遺伝率44%、やる気で言えば57%という結果でした。遺伝しやすそうな才能の項目と比べると例えば記憶力や計算力と同じ水準です。記憶の遺伝率が45%、計算が56%なので、努力できない人を、ナマケモノ、自己責任と追い込むのはお門違いです。遺伝率が100%というわけではないので、全てのケースが遺伝で説明できるわけではありませんが、背が低い人、肌の色が違う人、運動が苦手な人と同じように、努力が続けられない人も間違いなくいます。にもかかわらず「努力不足」「自己責任」と論破してくる社会はまさしく「無理ゲー社会」と言えるでしょう。

 

②非モテが加速する 具体的に言えば「自分らしく生きる女性が、モテない男子を相手にしてくれなくなる」ということです。能力主義社会になると、多くの女性が性別関係なく「自分らしく成功への道を歩める」ようになります。これはもちろんいいことで、女性は解放されたとも言えるでしょう。

 

 今までの女性は、ビジネスやアートの才能があったとしても「早めに結婚しなさい」「家事や育児をしなさい」と強要されてきました。法律に書かれていたわけではありませんが、社会の空気感がそうなっていたんです。結婚したいわけでもないのに婚活させられたり、お見合いさせられたりして、結局、そこそこの男と結婚させられたりしてきたわけです。

 

 しかし今は違います。完全に解決されているとは言い難いですが、女性も自分らしく生きられる社会が整ってきました。どんな性別、人種、性質の人であっても、自分らしく生きられる社会を「リベラルな社会」と呼んだりしますが、その「リベラルな社会」で生きる女性たちは、結婚や出産が義務だった社会から解放されて、自分らしい選択をするようになります。ですので、そもそも結婚しないという選択をする人が増えます。

 

 また、もし結婚するとしても、それは自分らしく働くことを投げ打ってでも結婚を選ぶわけですから、かなりシビアに外見、性格、才能など能力主義社会のルールにのっとって相手をを見定めるようになります。そうなると、今まで社会の「結婚しないとダメ」という空気感に後押しでどうにか結婚にこぎつけていた非モテの人たちが選ばれなくなってしまいます。

 

 みんなが「自分らしく」を求める完全なる自由恋愛となったとき、その自分らしい判断をする女性が、わざわざ非モテの男性を選んで結婚したいと思うでしょうか。非モテの人がしんどいという問題は男女両方に言えることではありますが、なんだかんだ選んで頂く立場にある男性側にとってはシビアな問題です。今後、恋愛はハイスペ貴族たちの高貴な嗜みになってしまう可能性が高い、非モテ男子はかなり厳しい状況に追い込まれるでしょう。

 

また明日も紹介しますので、良かったらチェックしてみて下さい。

 

 

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