4号機から5号機へと移り変わったのが2004年の7月。2017年9月に警察庁は「遊技機の認定及び型式の検定などに関する規則」の改正規則を公布し、2018年2月1日より施行されました。ちなみに、4号機がホールから完全に消えたのは2007年の9月。経過措置が設けられているため、規則改正をしたからといってすぐにそれまでの機械が消えるわけではありません。正確には「検定期間3年」と「認定機関3年」最大6年間設置できます。

 

 2005年にホールに姿を現し、14年以上続いた5号機。今回は5号機の歴史について追ってみたいと思います。5号機の規則改正は2004年4月でしたが、5号機の登場は2005年の7月でした。4号機から大幅な規則改正だったため、メーカーも開発に時間がかかったのでしょう。そんな5号機初の遊技機が、SANKYOの「CRP花月伝説R」パロットでした。

 

 

 次に登場したのがパチスロ機としては5号機1発目となる「新世紀エヴァンゲリオン」がビスティより発売されました。ゲーム性はボーナス+RT、ボーナスは約350枚のBBと約96枚のRBがあり、RB後に100GのRTに突入します。RTの純増は1Gあたり約1枚、50枚で回せるゲーム数は設定1で約45.5G、設定6で約52.6G。

 

 

 4号機と5号機で大きく変わったのはボーナスのストック機能の廃止、もう一つはリプレイハズシがなくだったこと。そのためAタイプのBB中は退屈なものになりました。吉宗や番長のように1G連のドキドキ、大花火のような技術介入で大幅に獲得枚数が変わるなど、4号機時代のユーザーからしたら5号機の初期はとても退屈に感じたことでしょう。

 

 2005年に登場した5号機はRT搭載機が多く、純増は0.8枚ぐらい。ほとんどがパチので言うところの時短的な役割しかありませんでした。翌2006年に5号機初となるARTを搭載した「ジャックと豆の木」がヤーマから登場。純増は1.5枚でARTパンク役を外す必要があり、2000ゲームのARTも搭載。終了条件は規定ゲーム数の消化、もしくはボーナス成立でしたので、ゲーム数すべてを取り切れるというわけではありませんでした。ちなみに2000GのARTに突入するBAR揃いのBB確率は1/8192です。

 

 

  2007年3月に銀座から「リングにかけろ1」が登場します。設定6の機械割は119.5%。昨年に登場した「スパイダーマン2」とともに、この頃の5号機のメインとなる機種でした。A+RTタイプでしたが、5号機でも万枚を狙える機種でした。5号機に光明が差し始めた頃、5号機最大のヒット作が稼働をしていました。

 

 

 

 それが2007年1月に登場した「アイムジャグラーEX」、4号機時代プロ御用達の機種であったジャグラーが5号機で登場。しかし、その出玉率は設定6で105.2%。しかしスペック関係なしに大ヒット、5号機時代を代表する機種となりました。

 

 

 同年7月には5号機初となるART中のゲーム数上乗せを搭載した「マーベルヒーローズ」がタイヨーエレックから登場。RTからミッションクリアでARTに突入。ART突入後はゲーム数を直乗せすることもあれば、ボーナスで乗せたり、今後のARTの可能性を感じる台でした。

 

 

 ジェイピーエスの「2027」も2007年7月に登場。ボーラスではなくARTで出玉を増やすゲーム性で、1セット20GのARTが70~95%で継続していく、これまでにないシステムでした。

 

 2007年9月には4号機がオールから完全姿を消しました。最後まで残っていた「俺の空」もついになくなり、翌2008年4月、4つのボタンが異彩を放つ「パチスロキン肉マン」が山佐から登場。とにかく設定の見抜きやすさで人気を博します。1時間もすれば6か否かが判明。イベント日は真っ先に埋まっていました。

 

 

 この時期に5号機は大きな転機を迎えます。技術上の規格解釈基準の変更です。小役優先制御が可能となったり、各種フリーズが搭載できるようになったりと、今に続くゲーム性が生まれるきっかけとなりました。誰も簡単に楽しめる押し順ARTやフリーズ演出を用いたレイヤー参加型アクションなど、その後何年にも渡ってゲーム性の柱となる機能が可能となったわけです。これを境に5号機のゲーム性は飛躍的に向上していきます。5号機の初期はメーカーも試行錯誤の上、開発を行っていた感じがします。

 

 

 

 

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