ルノー時代まで 今回紹介するのは「カルロス・ゴーン」元日産のトップです。まず来歴から、カルロス・ゴーンは1954年にブラジルで誕生。6歳の時にレバノンに戻って、18歳でパリに行き、78年パリ国立高等鉱業学校を卒業してミシュランに入社。出世して85年、30歳の時に南米ミシュランのCOOに就任。96年にルノーの上席副社長にヘッドハンティングされました。ルノーはフランスの自動車会社で、元々国営で民営化されました。

 

 当時ルノーは赤字で改革が必要でした。ゴーンはコスト削減を実施、ベルギー工場の閉鎖などし、当時勤務していた3000人以上の労働者が抗議したらしいです。これらで125億フランの利益を出しましたが、ゴーンについたあだ名が「コストカッター」、それで業績は回復しましたが、当時のCEOだったシュバイツァーは、

 

「ルノーはフランス国内に強いが海外に弱いので改善したい、特にアジアに進出したい」

 

ここで出現したのが会社更生法までカウントダウン状態だった日産です。ルノー側も日産の技術力やアジア進出を狙って99年3月傘下に収めます。

 

日産リバイバルプラン シュバイツァーはこの日産の再建のために副社長のカルロス・ゴーンを送り込みます。当時の日産は赤字になることが多く、世界販売台数も低迷、ライバルのトヨタの半分以下、かつ有利子負債は2兆円。ここにやってきたのが当時45歳で身長も決して高くなく、髪は薄く、ダサいメガネをかけていた謎の外国人。

 

 ゴーンは日産の各拠点を視察して99年10月に日産リバイバルプランを発表。

 

「2000年度の黒字化、2002年度営業利益率4.5%が公約だ」

 

これを実現するためサプライヤーに3年間で20%のコストダウンの削減依頼して、サプライヤー自体も半分にしようとしました。さらに村山工場などの工場閉鎖や資産売却も行います。およそ従業員の14%、2.1万人を削減します。当然、労働組合から反発がありましたが、実施しました。生産能力がかなり余っており、稼働率が53%でした。

 

 99年度で6843億円の純損失を計上して、2000年度には3310億円の純利益を計上、完全なV字回復をしました。元々技術はあって、組織的な問題でした。横の連携を強化するためにクロスファンクショナルチームを立ち上げて若手を積極的に抜擢しました。あと、コミットメントなどの具体的な目標を掲げて達成させるという危機意識を持たせました。年功序列・終身雇用で目標や実績をやり抜くのが弱かった日産、伝統的に日本企業の問題部分を直したことは強烈でした。

 

英雄へ カルロス・ゴーンは日産を救ったヒーローとして人気が高まりました。ビジネス関連の本とかも多く、色んな雑誌に載るようになりマンガにもなり、ベスト・ファーザー賞ももらってます。そして、次の中期計画として日産180を打ち出して、これもほぼ達成しました。

 

 ゴーンは2005年5月ルノーの取締役会長兼CEOに就任。とりあえず日産のCEOも兼任していました。元々、次の人間を決めるという話でしたが、そのまま兼任し続けました。フォーブス誌で世界の自動車業界で最も多忙な男と言われたり、朝から深夜まで働くのでセブンイレブンと言われてました。1年で15万マイル、24万キロ、地球約6周分移動してます。また、ルノー日産の合弁会社の会長兼社長も兼務してます。

 

 その後は世界金融危機、東日本大震災などで売り上げが減少するものの、2013年度には再び売上10兆円を突破。それでゴーンは電気自動車を推進、2010年からリーフが販売されてます。2016年に日産は燃費不正問題で揺れていた三菱自動車の株式を34%を取得してます。これでゴーンは三菱自動車の代表取締役会長に就任します。結果提携を結んで、ルノー、日産、三菱アライアンスを形成。2017年はトヨタグループを抜いて世界第2位の自動車グループとなりました。当然アライアンスのトップはゴーンです。2017年に日産の社長を西川氏に譲り、自身は会長に退きました。この後、ゴーンは逮捕されました。

 

また明日も紹介しますので、良かったらチェックしてみて下さい。

 

 

 

 

 

 

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