先日、都内某所にて。『twelve』と『ドライビングエンゼルフィッシュ』の作品分析で盛り上がりました。
そんな中で。
「遊佐葉月(『twelve』)に感情移入できない。ワルはワルとして描いてほしい。」
という意見がありました。
いやいやいや!違うんですよ!!!
そりゃ確かに、葉月さんはヘヴンズドアで、集団自殺をそそのかしたりして、ぶっちゃけフォーリスチームが死んだのは葉月さんが原因っちゃ原因ですけど。
でもね。葉月さんは、ワルというカテゴリに入る人じゃないんですよ!かといって善人でもない。
このへんの反論が作品分析会でできなかったので、ブログで弁解します。
ワルでも善人でもなく、じゃあ何かっていうと。
葉月さんは「虚無」なんです。だから感情移入できなくてもいい。彼女の笑顔は、無感情の裏返しだと思ってます。
無感情であるが故に、他人に死を与えることにも躊躇ない。
そう、まるで破滅の天使なんですよ!!あやせには天使の羽根が見えるんですよ!!!!(妄想スパーク!)
「あなたが、ヘヴンズドア…?」と問われた時の、慈愛すら感じる美しい微笑みといったら!!!!
DVDに収録されてないのが本当に残念でなりません…っ!!!(ギリギリギリ…っ)
…ま、置いといて。
遊佐葉月という人は、間違いなく天才で。
彼女には、全てがわかってしまって、全てが見えてしまうんでしょう。だから生きててもつまらない。
そんな彼女が、唯一まだ知らないものが「死」
死の扉の向こうには何があるんだろう。行ってみたい。
それは純粋な好奇心。
彼女にとっては、生も死も特別なものではなく、今までの旅の延長で県境をひょいと越えるのと大差ないのではないかと思います。
じゃあ、望みどおり死の扉を開けた葉月さんは、満足したのかというと、そうではないと思うのです。
「私、知ってたよ。こんな場所があるんじゃないかって。そこへ行ってみたいなって、思ってたから。」
この言葉を口にした時の彼女には、いつもの笑顔はありませんでした。
たぶん、彼女は初めて知ったんです。
人の「想い」というもの。
きっと葉月さんには、残された人を想って泣く、ということはできないし、涙で顔をぐしゃぐしゃにするということもないでしょう。
この言葉を言ったとき、彼女の中に「羨ましい」って気持ちがあったんじゃないかと思います。そう思ってほしいな、っていうあやせの願望かもしれませんが…。
彼女が知りたくて知りたくて、でも決して知ることができなかったもの。手に入れることができなかったもの。
それは「死」の向こうではなく、生きている人間の中にこそあるのです。
そこが、『twelve』という物語での、彼女の存在意義だと思ってます。
あの物語の中で、そこまで描けていたかどうかはわかりませんが(苦笑)
完全な存在であるが故の「無」。
その美しさと切なさ。
あやせは、そんな遊佐葉月という人が大好きです!大好きですっっっ!!!!!!
葉月さん愛してる!!!!!!(結局それが言いたいのか)
そうそう。
「あなたがヘヴンズドア?」のシーンで、葉月さんがにっこりすると同時にトラックが突っ込んでくるんですよね♪
まさに破滅を呼ぶ微笑♪
葉月さん素敵♪♪♪(もういいっちゅーねん)