マサアキの独り言

マサアキの独り言

ボヤキ、独り言を赤裸々にそしてつぶさに書いてます!
ほぼくだらないことばかりですが、たまに役立つことも書いてあるような、ないような・・・

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4月から大好きな坂本サトルさんのツアーが、久しぶりに始まった。

残念ながら、職を変え生活が未だ安定しておらず観にいけないのが悔しいのであるが…

ライブに行った方々の感想ツイートなどを読んでいると、皆さん絶賛の嵐なのでサトルさんと聞いて居る人達の気持ちが一つになって、とんでもない空間をつくり上げてるのが伝わってくる。

5月は、北海道ツアー。

ふと思い出したのが震災直後の5月にもサトルさんは、北海道をツアーで周っていた。

その頃の僕は、サトルさんのブログが更新されるのを毎日楽しみにしていた。幸いな事に、僕は震災では大切なひとを亡くす事は無かったが、周りには家を無くした仲間や家族を津波に奪われた方も居た。自宅から、数分も車で走れば瓦礫の山に遭遇する事もあった。

サトルさんは、震災後直ぐに日出るところへと言う名の支援プロジェクトを立ち上げ、被災地支援活動をしていた。なにも出来ない僕は、ブログにコメントを残すことしか出来なかった。

いつしかコメントを残す事が、あの当時の楽しみになっていたのは事実としてある。更新するたびにコメント残して居た気がするけど…記憶違いかな?

さて、そんな2011年5月3日、ゴールデンウィークの最中、僕もはお客様の車を工場に移動しようと乗り込んだ。

その横に一台のハイエース。窓が開いた助手席から見える顔は…まさかのサトルさん!

思わず「あっ」と声をあげる。

「もしかして?」とサトルさん。

「マサアキです」と答えると、

「おぉー!」と笑顔のサトルさん。

ブログにコメントを残す僕に興味を持ってくださり、フェリーに乗るために北海道に向かうまえに当時働いていた店に来てくれた。

仕事中にサインもらったり、握手してもらったりで夢心地の一日だったなぁ(笑)

少しずつだけど、この日を恩を返して行きたいな。

電車に乗って帰るときに、姉から電話が来た。

母の容態が急変したらしい。

一度自宅に帰ったらすぐ向かう事を告げ、妻に電話した。車で駅に来てもらい事情を説明、子供達2人にも事成り行きを話す。

ひとまずは妻と2人で病院に向かう。途中姉と合流、病室へ。

心電図モニターは、昼間来た時と様子は変わり無いように思うが…徐々に反応が弱って来ているらしい。福島に出張に行っていた甥っ子達も駆けつけるが、どういう状況なのか医師の説明が無く、我々も判断がつかない。唯一言われたのが数十分置きに、薬剤を強くし反応を見ていきますとだけ。良くなるのか、悪くなるのかハッキリと言われない。

姉と話し合って出した結論、三人居る甥っ子の内の独身の三男に付き添いを任せて、一端解散する事にした。

帰って来たものの心ここに在らず…落ち着かない、落ち着けるわけもなく時間だけが過ぎる。

日付が変わって直ぐに甥っ子から電話、

今直ぐ来て!

直ぐに家を出て姉を拾い病院へ向かうも、時すでに遅し。母は、唐突に天に帰ってしまった。

音も立てず、静かにあまりにも早く逝ってしまった。

霊安室に移され、苦しみから解放された母。

コロナが収まったら、ご飯食べに行こうね。

その年の元旦に母と僕の娘が交わしていた約束。

果たされる事は無かった約束。


斎場を決めてすぐに母を連れて行ってもらった。

母の死を伝えなければいけない人が居る、父だ。

自分も死線を彷徨うような状況の父に伝えるのは、非常に勇気が必要だった。知らせないかとも考えた。知らせる事により、父の病気を悪化させてしまうのではないかと考えたからだ。

しかし、伝えないわけにはいかない。

電話して伝えた…出だしから泣いてしまっていたから、すぐに気づかれた。ダメだったのか?

堪えようとしたが、限界だった。

現実が遥か想像を超えていく出来事。

両親をいっぺんに亡くしてしまうのではないかと言う恐怖が、僕の心を壊し始めた。

タイトルのこの日の深夜、正確に言えば25日未明には母が天に帰って行った。

2週間ほど前から入院し一次快方に向かったが、容態が急速に悪化してそのまま逝ってしまった。

最後に話をしたのは一月の下旬、必ず病院に行ってよ、が最期に母と交わした言葉になってしまった。

80才を過ぎた頃から、いつかはこんな日が来るのは覚悟はしていた。つもりではいたが、やはり現実を受け入れるのは簡単にはいかないと痛感した。

実は、24日当日に連絡が来たのは、母の容態悪化した件ではなく、父が緊急入院するから病院に車を取りに来て欲しいとの電話だった。

電車で病院に駆けつけると、父の心臓は一般の同年代の人の三割から四割程度の働きまで弱っていて予断を許さない状況との事。それだけで頭がパニックになりかけていた時に、姉から母の病院からも電話が来た事を聞かされる。退院の件か?

などと考えていたが、とにかく姉が母の病院に行き、父の入院手続きが終わり次第に姉を迎えに行く事にした。

父は心不全の兆候があるが、入院すればなんとかなりそうだった。手続きを終え、母の所に向かおうとした時に何かあったら後は頼むと言われた。

母の病院に向かう最中、姉にメールをする。

返って来た言葉は、ダメの二文字。

容態悪化の連絡だった事を、2人は黙っていた。

心配かけない為だと思う。先生と看護師の方の話を聞いた。今夜が…と言うあの言葉。

精一杯の事、出来る限りの事はしますが、覚悟はしていて下さい。

え?何?頭が、思考が感情が着いて来ない。

目の前で酸素マスクを付けて、呼吸を繰り返すだけの母。眼を開けない、呼びかけても返事してもくれない。寝てるだけ?疲れてるだけ?

何でだ?回復して来ていたんだろ?

どういう事か理解も出来なかったが、姉が一度帰って父の入院準備をしなければというので、病院を後にした。

帰りに服屋で下着やパジャマなどを買い、病院に届けてから自宅に戻る事にした。

病院から駅まで歩いてる最中に、一気に感情が溢れて涙が出て来そうになったが、なんとか堪え電車に乗った。

しかし、その時は少しずつ迫って来ていた。