俺には、親父と呼べる人物が3人いる。
1人目は親父。
つまり、実の父親。
繁太郎さんwww
2人目は、3年前に他界した祖父。
2歳から15歳まで、父親の代わりをしてくれた育ての親だ。
3人目は、高校時代の陸上部の恩師。
野中先生。
3人いる親父の中で、もっとも厳しくて怖い存在……
つまり一生、頭が上がらない人だ。
野中先生は高校時代の恩師であり、日本大学陸上競技部の大大大先輩でもある。
日本大学が、最後に箱根駅伝を優勝した時のメンバー。
しかも第7区の元区間記録保持者。
「箱根駅伝の人物一覧-Wikipedia」の、区間記録樹立者一覧の中の第7区で、一番最初に名前が出てくる人だ。
凄い人である。
現役時代の野中先生は、とてもストイックだったらしい。
とにかく、競技者である自分に厳しく取り組む。
だからなのか……
指導者になった野中先生は、競技者としての教え子にも、とても厳しかった。
高校時代の俺なんか……
そりゃもう怒られた。
一生分くらい怒られた。
後になって、野中先生本人が……
「正人には厳しくし過ぎた」
って言うくらいだから、本当に怒られまくったんだと思う。
とにかく怖かった。
まともに会話ができなかった。
話が普通に出来るようになったのなんか、ごくごく最近。
ようやく、自分の考えや意見が言えるようになった。
「俺、大人になったなー」
って、すごく思えた瞬間でもあった。
俺の今の仕事の話なんかは、笑顔で聞いてくれる。
綺麗な女優さんの話題の時なんか、そこら辺のオッサンとたいして変わりない。
でも、そんな話を一通りした後に、野中先生は必ず厳しい目でこう言う……
「初心を絶対に忘れたらいかんぞ」
と。
高校を卒業して、野中先生の元を離れてから今日まで、ずーっと言われ続けてきた言葉だ。
箱根駅伝を目指す、俺にも。
社会人ランナーの、俺にも。
俳優を目指す、俺にも。
ヒロインの幼馴染みを演じる、俺にも。
逢えば必ず、その言葉をくれる。
いつも。
いつも。
いつになっても、だ。
全くもって、ありがたい話である。
どんなになっても、変わらず、厳しく見てくれることを、一つの言葉で表現するなら……
無償の愛、に他ならない。
野中先生のことが、怖くて怖くて仕方なかった高校時代でさえ……
その想いだけは、なんとなく理解していた。
だから、やはり親父なのである。
恩師としての、自慢の教え子……
親父としての、自慢の息子。
野中先生の、それになるように。
俺、頑張ります。
後輩の久保田、渡辺。
恩師、野中三徳先生と。
2013年11月16日、上野駅にて。