京アニ事件で検察官の死刑求刑に続いて弁護側が最終弁論で死刑回避を求めた。その理由の一つが死刑が残虐だから憲法に違反するというのである。


しかし、死刑が残虐かどうかを抽象的に論じても机上の空論に過ぎない。どんな犯罪行為をしたかが問われなければならない。全身火だるまになってもがき苦しむ生身の人間を焼き殺した残虐性を考える必要がある。刑罰はそれに相当するものでなければならない。刑法の本質は「応報」にあるからだ。


さらに、忘れてはいけないもう一つの視点がある。刑事司法の目的は社会秩序の維持とともに犯罪被害者等の権利利益の回復にもある(第一次犯罪被害者等基本計画・10頁、犯罪被害者等基本法第3条)。凶悪犯罪の遺族にとって、死刑判決は通過点に過ぎない。刑が執行されて初めて事件に区切りをつけてゼロからのスタート地点に立てる。


娘さんを複数の犯人に惨殺された母親は、「死刑が執行されたら、その犯人の顔が浮かばなくなった」と言った。執行されても娘さんは生きて返ってこないから、100%の被害回復はあり得ない。


だが、おぞましい犯人のことを考えなくなるだけでも、せめてもの回復ではないだろうか。