いじめが
ドイツの教育機関でも
論議されるように
なったようだ。

しかも
標記は
IJIME
(独語読みでも“イジメ”)

サムライ、
モッタイナイ
に続いて
イジメも国際語に
なる日が
近いんだろう。



最近、
いじめについて
考える。




結局
いじめって
『弱さの転嫁』
なんだと思う。



誰かが誰かに
自分が負ってる弱さを
背負わせる。

背負わされた
誰かは
また別の誰かに
その弱さを
背負わせる。

今度は
自分の分の弱さも
含めて。

背負わされたほうは
優し過ぎるのか
その弱さを
ちゃんと
受け止めちまう。

たいがい
背負わされるやつは
優しいんだろう。

優しすぎて
断ることもできないし
誰にも話すこともできない。

結果、
全部をしょい込んじまって
その重さに耐え切れずに
潰れちまう。


その弱さは
どこから出た弱さなのか


大概
他を抑圧しようとするやつは
自分の持ってる弱さを
他人になすりつけようとする。

自分がその弱さから
逃れたいがために。


己で弱さに堪えるだけの
強さがないから
自分より弱い存在を作って
安心を確保しようとする。


だけど
そんなのは
強さでも何でもない。


ただ
自分の弱さに
向き合うことから
逃げてるだけ。


見てるだけの傍観者も
その弱さを
背負いたくないがために
囃し立てるだけで
身の安全を確保する。



昨日見たTVで
ラサール石井さんが
「いじめは悪じゃない。
教室にいる子供たちには
善も悪もない。」
とおっしゃっていた。



いじめは
弱さを
自制しきれないから
であって
悪ではないのかなと
妙に納得した。


いじめはNOと
声を張り上げるより
とにかく生きろと
声を張り上げるべきだ。
死ぬことに答えを
見出だしてしまうことが
問題なんだ。



いじめを0にしようと
圧をかけると
今までのような隠蔽
という結果を
招きかねないので

弱さはあるものとして
いじめ(未熟な弱さのコントロール)はあるものとして
工夫が必要だと
おいらは
思う。


最後の受け口に
なってやれるだけの

弱さを受け止められるだけの
強さを持った
大人にならなければと
感じた。




自分の考えが
ある程度
まとまったので
書きました。

結局は
現場で日々
いじめと戦う教師の方々や
多くの悩みを抱える子供たちでも
学校に通う子供を持った親でもない
ただの23歳の第三者の考えた
机上の空論ですが、
長々と読んでいただいた
皆様には
お礼を申し上げます。




一度落ち着いて
周りを見渡してみてください。

たくさんの
熱いメッセージを
かけてくれる
人達が確かにいます。


死んで終わるのは
自分の命だけで
遺された人達にとっては
何も終わらないんです。
永久に闇をさ迷い
涙を流し続ける
親、親友にとっては
何も終わらないことなんです。
何があっても生きて
自分だけの
居場所を創造してください。
きっと見つかるはずです。


いとまさと

おいらも
誰かに弱さを転嫁して
生きてる。

大人になっても
いじめは有り得るし、
たぶんこれからも
弱さを転嫁してしまう
場面があるんだろう。

そのことを自覚して
生きなければ。