古い知人と繋がるきっかけがあった。
大変懐かしく、メールをした。
彼女からチャットメールが届き、それはもう頻繁に繰り返した。
なかなかに、難しいひと、と、言うか、人に合わせる事がない。いや、わたしだからなのか?とも思ったが、彼女の意に沿うよう、合わせた。
決定的に、彼女は、無理だと思えた。
相手を、少しでも大事だと思うなら、合わせるよう譲歩もすると、わたしは思う。
しかし、彼女がわたしに譲歩してくることは皆無だった。
決して自分の考えわを譲らない。
それは、強さだろう。それは、ある意味、尊敬すら、していた。
だが、少しは、百にひとつくらい、譲らないか?と、思うが、譲らない。
自分の嫌いな相手を、肯定しただけで憎しみを露わにし、敵とみなし攻撃してきた。
びっくりした。
そうしなければ、生きられなかったのだろうか?
医師になり、医師と結婚した一人息子と暮らす事を夢見た彼女の夢が叶う事を祈っている。
毎月、遠い九州迄、飛行機で孫の幼稚園のお遊戯会やら、敬老会に出掛ける彼女は、寂しいのか、幸せなのか、わたしにはわからない。
経済的に余裕があり、出掛けられるキャパもあるのだから、よいだろう。
が、わたしを揶揄するのは、やめてもらいたい。
あなたは、経済的余裕があるから、とか、いちいち。
そっくりそのまま返納したい。
孫の幼稚園の行事に、毎月飛行機で、5日以上も有休やら使って、行ける人はそう、多くはなかろうし、、、わたしは、きっと、行かない。
何故?
姑で、嫌な思いををし、胃潰瘍を繰り返し、苦労したから。息子が、幸せならいい。
その、2点において、多分、息子の家庭には近づかないかなあ。まあ、まだ、大学生で、実感がないのかもしれないが。
その、彼女が、一方的に怒っている。
我慢して、譲歩してきたのに。
まあ、彼女に言わせれば、勝手に我慢して、譲歩したのだろう、わたしは。
ばからしくなり、文句のひとつも言いたいが、わたしは、わたしがばかなんだと、自分に腹が立ったな。