おはようございます
のブログにリンクを貼った記事を彼にも送って、その記事の内容について話してたの。
彼が
自己を認知するって難しいよね。
自己認知力を高めたいと思ってもなかなか出来るものではないしね。
と言ったの。
彼くんは大丈夫だよ。
自己分析も出来てるし、過大評価もしてない。
むしろ、自分を過小評価してる方でしょ。
だからこそ、能力が高いんだよ。
記事の内容に添って言葉を選んでみた。
ってこの記事を読んで改めて思った。
と言ったら
僕は自分の自己認知力に自信がないから過小評価になってるのかなって思ってたりするよ。
本当の意味での自己認知力がある人は、自己評価も適切なんだろうなって思う。
能力がある人が過小評価なのは、驕らないし、謙虚な心があるからだと思う。
だからこそ、人の話に耳を傾けることが出来る。
自分の能力以上に自分を評価する人は、自分が正しいって思い込みすぎて他人の話を聞けないから能力も低くなってしまうのかなって思うんだ。
自己認知が適切な人ってそうそういないと思うんだよね。
だから、自己認知と他者認知がずれ過ぎなければきっと適切な自己評価になってると思ってるよ。
能力がないのに過大評価する人より、過小評価しちゃう方がよっぽど良いわ。
自分を過小評価してる人の方がもっと頑張らなきゃってなるから、能力を上げやすいのかもね。
確かにそうなのかも。
能力がないことにも気づいてない人は、もっと頑張らなきゃっとすら思わなさそうだもん。
と言うやり取りになった。
自分のことを客観的に見るのって難しい。
どんなに冷静に考えてみても、きっと自分で思う自分と、他人から見た自分にはずれがある。
それは多少は仕方のないことかもしれないけど、出来るだけそのずれはなくしたい。
だからこそ、たくさんの人と触れ合って会話することは大事なんだろうな。
あ、そんな風に思われてたんだ。
直そう。
って思えるもん。
ジョハリの窓でいうなら、自分も知ってて他人も知ってる「開放の窓」を大きくして、自分は知らないけど他人は知ってる「盲点の窓」を小さくしていきたいな。
そういえば、息子も中学1年生の時に授業でジョハリの窓をグループでしてたみたいだな。
忘れちゃったけど、
優しい
面白い
そんなことを周りから書いてもらってたな。
息子は自分のことを
数学が苦手
作文が苦手
とかそんな性格とは違うことを書いていた気がする
それを見て、自分の性格について考えるのが苦手なんだろうなって思った。
良いと思ってるところは自意識過剰みたいで恥ずかしくて書けないけど、良くないと思ってることには向き合いたくない、みたいな。
そのまま成長したら良くないなって思ったんだよな。
だから息子が悩んでる時の私は冷たい。
どっちでもいいとか言って逃げんな!
息子がどっちでもいいことなら、ママはもっとどっちでもいいわ!
なんなら、どっちもすんな!
みたいなことは言う。
昨日も言った。
昨日は
勉強を真剣にしてこなかったから、今、この結果なんだよ!
私が高校に行くんじゃないんだよ!
息子が行くの。
自分のことなの。
どっちでもいいとか言って逃げるなら高校行かないで働け!
ってキレちゃったもん