煉獄

  

 序章

 

 これは私の半身であり、そして私の半生を描いた小説である。この中身は断章的であり、不揃いである。そこに一貫した目的は見られない。しかし、その中に人間という者が見出されるはずである。人は、日増しに変転する自分の感情、考えに気付かない。たとえその根底に深い形而上学的(けいじじょうがくてき)な普遍的人格というものが介在していようと、それは常に認識されるわけではない。人は時にある人を憎み、あくる日にはその人を愛することもある。そこに、ことさら一貫性が無いのは言うまでもない。だが、それこそが、人間なのかもしれない。

ここで読者に分かりやすいように、著者の一つの、簡略な実体験を出そう。とはいっても、それは私の個性によって(ゆが)められた幻影でしかない。それはここに記す実体験が真実であるか、偽りであるか、そのどちらにも取れることを示している。しかし少なくとも自らのことを直視し、それを言葉によって示そうという者に偽りを言う意味があるのであろうか?こんなことを言ってもしょうがないかもしれない。とにかく私はこのことを誠心誠意、語るつもりで筆を執っているのである。そこになんら衒学的(げんがくてき)なことがないように私は努めるしだいである。最後に一つ述べるが、この体験はこの物語の後に起こったことである。

 

 あるとき、私はたまたま教会に行くことに決めた。その時は、ちょうど新年が始まったときである。人々は、新しい年の余韻冷めやらぬ中、(ちまた)を右往左往していた。私が教会に行くことになったきっかけ、そのことは語らずにおこう。私も、何かに悩んでいたのかもしれない。また、仲間を求めあぐねいていたのかも知れない。ほとんどの人々はそのどちらかの理由で教会に足を運ぶ。しかし、私は、少なくともはっきりとした目的観念をもっていた。それが、私を教会に向かわせたのである。この目的は、近い将来に分かることであろう。私が自らの使命を全うした暁には。

 

 だが、私はその教会の門をたたき、その扉を開いたときに愕然(がくぜん)とした。私は、その教会でも、単一な世間一般で見られる人と呼ばれる生き物を見ただけであった。その光景を見て、私は飽き飽きした。つまらない世の中、そういうものが常に自分の頭の中にはあった。それを立証するかのように、この教会でもその営みが行なわれていた。私はその時点で、この場所にはほとんど精気がないことを感じ取った。人々が熱心に神を崇拝し、それに恍惚(こうこつ)となる。そんなくだらない儀式に一体、何の意味があるのか?私にはその理由が、今も分からない。そこにあるのは唯の人間の本性である。集団迎合主義に陥る哀れな人間たちの盲目的な行い。それは君主に仕える臣民たちとなんら変わることが無い。それらは人間の脆弱な面を露わにしていた。その光景を(かんが)みた私は、(きびす)を返し、さっさとこんな俗世間から、おさらばしようと思った。

しかし私はそこで運命の出会いとも言うべき友と出会うこととなるのである。彼らは宣教師であり、私とほとんど歳の変わらない青年であった。彼らは私にゆっくりと近づき、その穏やかな眼差しで私を眺めた。私はその時の印象を今も忘れない。彼らの精悍(せいかん)な目つき。それが私をその場に引き止めたのである。その後、私は彼らと幾度か話をした。その中で彼らは正直であった。神を信じてはいるが、その背後には常に人間の姿が見えた。私はそれがうれしくてたまらず、何回も彼らの顔を眺め、その厳かな瞳を見つめた。

 

 おお、私に慈愛を以って、接した少数の人々よ。なぜ君たちは、私が過去の事を滔々(とうとう)と話さずに突然沈黙したときに、その意味を察したのか? そうか、君も知っていたのか?君も過去の事を思い出すことが辛かったのか。そう、君たちの瞳は訴えていたではないか。そこに、偽りが在ったとは思えない。君たちも一様に沈黙したではないか。過去という幻影をつかもうとしたときに。君はその時にどう思ったのであろうか?君はその時に私と同じように一般に受け入れられない陰惨な過去を露呈しようとはしなかった。君はそこに感じていたはずである。人間という者の意味を。なぜ?いつも聖者が処刑台を携えて、我々の傍らに立っているかの、その意味を。

 

 聖書を片手に道徳を説く者たちよ。あなた達は本当に聖書だけで人々を変えられる、と信じているのか?どうか、もう一度考えてみて欲しい。もしあなたが純粋無垢な人間であるならば、そこには、聖書という名を借りた本しかないはずである。君たちは、その本を持って、人生を大観するのか?それは無理な話である。聖書をとる前に、もう一度考えて欲しい。君たちの眼前に広がっている現実のことを。

 

「書物は人を博学にはするが、人間にするものではない。」

 

 現実を知る者こそが真の開拓者であり、本を読む者はそれに追随する者である。