よみがえれ毛魂

よみがえれ毛魂

薄れゆく毛根とともに失っていった何かを探す日々。

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2023年も無事ゴールデンウィークに突入しまして。
恒例のこたつと扇風機の入れ替え戦を行なって、
夏への備えも万全です。
 
この扇風機、
昭和59年製なのでかれこれ40歳。
昔のものは頑丈です。
得てして衣料品なんかも昔のものの方が質が良かった気がしますね。
いまでも高校の時に来ていたセーターなんか着てるけど、
自分のサイズが変わらなければ、
たぶん死ぬまで着れそうな気がする。
もはや服なんか一生買わないかも。
 
さてさて、
「O・MO・TE・NA・SHI」から始まった東京オリンピックも、
すでにいつ開催されたのか、
誰が出ていたのか全く記憶には残っていないけど、
終わってから始まった汚職事件は、
時間が経つほどにオリンピックを汚いものにしていきますね。
 
なんでも金、金、金。
お金をもってそうな人ほどお金に執着しているような感じで、
子供っぽい感想ではあるけども、
一体何にそんなにお金が必要なのかしら、
と思ってしまいます。
 
この四月から職種が変わってね。
よりお金に近いとことで仕事をすることになって。
自分が扱う商品にそれだけの魅力があるのか、
自分が手に取った商品にそれだけのお金を払う価値があるのか、
ぽちっとボタンを叩けば、
ゼロがいっこ間違えているんじゃないかという金額が、
パソコンの画面を行き交っている。
 
「お客さんのため」という言葉の裏には、
当然「適切な利益を頂いた上で」という本心があって、
だけど最近は適切とは言い切れない利益を確保するために、
あれこれと目を覆いたくなるような契約を取り交わす。
 
40年も使い続けられる扇風機を作っていた時代は、
きっと今よりもずっと雑な時代だったはずなにのね。
「売れるもの」というよりも、
「良いもの」を作ろうという気概に溢れていたように感じます。
 
生き馬の目を抜くこの世の中で、なにを甘いことを・・
という感じではあるけども。
 
今日ひさしぶりにドコモの店に行って、
ほんとに嫌になっちゃった。
あんな普段着を着た子供みたいな店員が出てきて、

2時間もかけて偉そうに説明する内容のほとんどが、

自分の会社を守るための取り交わし条件の読み合わせで、

自分とこの商品の魅力を語る場面は皆無だもんね。

 

電力会社もそう、ゼネコンもそう、

日本を代表する企業もほとんどが、

クソみたいな書類の取り交わしに膨大な時間を掛けさせる。

こんなのそのうちみんなAIがやるようになるだろうに、

世の中全体が、

そんなことしかできない人間ばかりになっていくようで、

なんか怖さすら感じますね。

 

さてゴールデンウィーク初日、

お金に見合った満足を求めたら出かける場所はなくなってしまうけど、

少なくとも気持ちよく時間が過ごせる場所を探して、

夜の街を徘徊してみようかな。

 

 
 
 
 

カラオケ大好きタッキー氏。

十八番は木山裕策氏の「home」

 

 

歌いながらウルウルしてしてしまうくらい好き。

MVがね、子供に対する愛が満載で、

もう反則です。

なるべく画面を見ないようにして歌います。

 

homeてなんだろね。

 

家の臭いってあるけども、

最近実家に戻ると、

家の臭いが感じられるようになった。

・・なんだろう、表現が難しいな。

 

なんていうか、

人の家に行ったときに、その家の臭いを感じることがあるけど、

今まで感じられなかった実家の臭いが、

明確に嗅ぎ分けられるようになった。

 

くさい、ってわけじゃなくて、

自分の家の臭いとしてではなく、

「その家」の臭いとして、

はっきり言えば、

自分の棲み家だった場所の臭いではなく、

他人のテリトリーとしての臭いとして、

明確に認識されるようになった。

 

考えてみれば、いまの実家に住んでたのが14年間で、

この家で一人暮らしを始めてからもう22年。

そりゃ他人の棲み家にもなるか。

 

 

自分にとっての棲み家はもうこのマンションなんだけど。

心の拠り所としてのhomeは、

やっぱり実家であり続けたいかな。

たいした意味のない人間ではあるけども、

今の自分を作ったかけがえのない場所ではあると思います。

 

 

独り身だった伯母さんが施設に入ることになって。

 

伯母さんはもう、

自分が施設に入ることも理解できていなくて。

 

伯母さんが長いこと一人で住んでたお家を片付けに行ってね。

勝手に伯母さんの思い出に感情移入して、

泣きながら箪笥やら鏡台やらを担ぎだした。

写真とか服とか、

あの世には持っていけないと言えばそれまでだけど、

処分を迫られる側にとっては重すぎる思い出だよね。

 

施設が辛いといって、

泣きながら「早く死にたい」って電話が掛かってくる。

身につまされる。

帰るお家くらいは残しておいてあげたかったかな。

 

お金があれば。

時間があれば。

家族がいれば。

お家があれば。

 

なにが足りていれば、幸せな終末を迎えられるのかな。

 

結局は自分の問題なんだろうけど。

 

いずれ自分にも同じ状況が来た時には・・・、

自分のときには、家族はおろか、

まったく助けになる親類がいないことを考えると、

自分の事とは言え笑えるくらい救いがない。

 

けどまぁ・・。

死ぬまで生きるしかないんだけどね。

 

なんだろう、年のせいなのか、

最近何に対しても熱意が喪失してしまって。

生きている意味が不明瞭になってしまった。

様々な倦怠の果てに、

いつかどこかで聞いた、

「人生は、死ぬまでの盛大なひまつぶし」

という言葉ばかりが頭に浮かぶ。

伯母と、老いた両親を看取れば、

たぶん自分の人生に課せられた役務はそこで終了です。

 

端的に言えば、

多分人間は長生きし過ぎなんだろうと思う。

体も頭も存分に動かなくなれば、

自然に淘汰されるのが正しい摂理だろうと思う。

 

先日、伯母の新たな棲み家に、

わずかばかりの身の回りの品々を届けに行ってね。

老人ホーム。

うつろな表情の老人ばかりが住まう家。

名前ばかりはホームとついているけども、

老人にとって、そこはhomeではありえない。

 

自分の親や親類を、姥捨てさながらに放り込んで、

それで得られる自分の幸せというのは、

どれほどにありがたいものなんだろうね。

 

・・・

 

伯母の家の片づけをしながら、

より一層に断捨離への意欲がわいたよ。

なにしろ身の回りのものは減らしておくに限るね。

 

 

 

 
鳥取の境港にかれこれ10日ほど。
 
人が少なくてとても良いとこでした。
写真は美保関にある美保神社。
 
ぶらりと立ち寄ったら、
ちょうど神楽が始まるところで。
山の懐に埋もれるような神域で、
蝉の声に溶け込んでいくような、
笙や鐘や鈴の音、
巫女さんの舞。
場所が場所だけに、
この世の出来事とは思えないような、
得難い体験をさせてもらいました。
 
言葉を選ばずに言えば、
こんな僻地中の僻地で、
確かな人の営みが感じられることに、
素朴な感動を味わってしまったりね。
人生の終わりが近くなったら、
静けさを求めて、
この場所に終の棲家を探してしまうかもしれません。
 
 
そして……
まあ今回も出張だった訳ですけども、
毎回汚い作業着からスーツに着替える場所として、
コンビニの駐車場やサービスエリアを使うわけです。
ええ、
公衆の面前でほぼ半裸。

 

地方の駐車場は結構広大だったりするもんで、

一応の恥じらいをもって、

誰も近くに来なそうな、

隅っこの方で場所をお借りするのですが・・・、

 

なぜか隣に車を停めるやつがいる。

 

全くもって理解できない。

意味がわからない。

 

トイレに行くにも売店に行くにも全く便利でない場所で、

しかも半裸の大男が着替えをしているのに、

あえて隣に車を停めてくる。

 

インタビューしたい。

「あなたはいまどういう心境でここに車を停めたのか」

念入りに問い質したい。

 

こういう理解不能な輩は世の中に一定数いて。

車の運転も、電車の中のマナーも、

思慮も配慮もなにもない。

ほんと大嫌い。

けど裏を返してみれば、
周りのことなど一切眼中に入れず、
自分のやりたいことをやりたいようにやっている人。

うらやましくもあるかも。

 

自分が周りの事を気にしすぎなのかな・・。

もっとおおらかに暮らしたいもんだ。