18歳の時、サッカーの名門駒澤大学に入った。
監督は秋田浩一。
元日本代表の巻誠一郎をはじめ、今でも多くのプロ選手を輩出している。
こう書くと、名将のもとで青春を過ごした、たいそう立派な話が始まりそうだが、実際はそんなに爽やかではない。
秋さんは、よく怒っていたしよく怒られた。
ミーティングは基本的に1時間を下回ることがなく、2、3時間いく日も普通にあった。
同じ話を何周もする。「もう分かったよ」と思ったところから、もう一周する。
ある日、トイレを我慢できずにオナラをした時、隣のやつが笑い、そいつだけブチ切れられたこともあった。申し訳ないことをした。
当時は、なげーな、なげーなと思いながら、まさに修行のような時間を過ごしていたのだが、秋さんの言葉はいまだに不思議と頭に残っている。
自己犠牲。仲間のために。体を張れ。
一見どこにでもありそうな言葉だけれど、誰が言うかで、その重みはずいぶん変わる。
20歳いかないくらいの僕らに、秋さんは特徴的なしゃがれ声で、何度も本気で投げかけた。
正直、しつこいよと思う時もあった。
でも、あれだけ本気でぶつかってくる大人には、その後あまり会っていない。
秋さんの話で、今でも好きなものが一つある。
サッカーでは、パスを出す選手がいれば、それを受ける選手がいる。
遠く離れた二人がボールを蹴り、受け渡す。距離の長い短いはあれど、90分間それを何百回も繰り返すのがサッカーで、だから当然ミスも起きる。
パスが少しずれて、ボールがピッチの外へ向かう。
受けるはずだった選手は、外に出ていくボールを眺めながら、
「ミスんなよ」
みたいな顔をする。
秋さんは、そういうのがとにかく嫌いだった。
『おおたにぃ!追えよぉぉ!!』
と怒鳴り声が響き渡る。
味方がせっかく体を張って奪ったボールを、お前につなごうとして出したパスを、
なぜ少しずれただけでそれを人ごとのように見ているんだ。最後まで追ってやれよって。
当時の僕は、いや、どう見ても届かないボールはあるだろ、と思っていた。
人間には足の長さ、足の速さというものがある。届かないことが経験上わかる、足を止めて当然じゃんって。
でも秋さんにとって、そんなことはどうでもよかったのだと思う。
パスが成功したか、失敗したかではない。
仲間のパスを、いつミスにするか。
そこを見ていた。
パスを出した瞬間にミスが生まれるんじゃない。
受け手が「あれはあいつのミスだ」と決めて足を止めた瞬間に、初めてミスになる。
逆に言えば、信じて誰かが走っている間は、まだミスではない。
届く可能性を信じて足を止めないこと。
それが秋さんの言う"仲間のために"だったのだと思う。
無理なボールに食らいついて、「あいつらバカじゃねぇの」と笑われていたものが、届いた瞬間「すげぇ」に変わる。
それこそが、
いくつものJリーグチームにジャイアントキリングを起こし続けたかつての駒澤大学の凄みだった。
足を止めなかった先に何があるかなんて、誰にもわからない。
でも、足を止めたらそれは絶対に生まれない。
ずいぶん乱暴な考え方だ。
でも僕は好きだ。
そういえば、ジャズの帝王と呼ばれるマイルス・デイヴィスにも、似たような話がある。
演奏中、誰かが間違った音を出した。
これも普通なら「ミス」だ。
でも、マイルスはその音の後に咄嗟に完璧なメロディを繋げ、他のプレーヤーを救った。
"間違った音そのものではなく、その次の音が、それを良くも悪くもする。"とマイルスは言った。
秋さんとマイルス・デイヴィス。
たぶん一緒に飲みに行っても、まったく話は合わない。
でも、言っていることは妙に似ている。
間違えたことより、その次に何をするか。
そう考えると、人生で起こるいろんなミスも、少しだけ見え方が変わる。
まぁ、オナラで隣のやつが怒られた件については、どうしようもなかった。足を止めるも何も、そいつはすでにブチ切れられていた。
サッカーは辞めた。
それでも生きていると、日常の中で誰かのパスを受けることは結構ある。
うまく届くものばかりではない。言葉が足りなかったり、判断を間違えたり、とんでもないところに蹴ってくるやつもいる。
腹が立つし、イライラする。
するとたまに秋さんの声がする。
足を止めるな。
誰かが、自分に向かって蹴ったものなら、とりあえず走ってみる。
届かなかったら、その時はその時。
多分今でも、秋さんが言ってくれたことの半分もまだできてないだろうけど、
それでも昔よりは少しずつ足を出せるようになってきた。
あの、長い長いミーティングのせいだ。