アスリートとしての活動をキッパリと辞めた2021年、その翌年の1月に僕は実家に戻って本格的に医学部受験生活を始めた。昔子供部屋で使っていた部屋に27歳という年齢で再び帰還し、しかもそこで受験勉強を始めるなんて想像もしていなかった。

洋服ダンスに机と椅子だけの一室に、前の年から少しずつ始めていた受験勉強のテキストを置いて一息ついた。本当に始まるんだなと、少し不安な気持ちになった。

もう俺には何もない。自分を表現するためのサッカーも今の俺にはない、あるのはサッカーで培った、、、、、、、、。

ふと思った、サッカーで僕は何を培ったのか。もしあったとしてもそれはどう活きるというのだろうか。

ポストプレーの仕方、ゴール前の動き方、それらはあのピッチの上でしか通用しないし。スポーツから受験にステージを移すことのメリット、正直そんなの全くもってわからなかった。

スポーツだけに力を入れてきた自分が医学部に挑む無謀さをうっすらと感じていた。つい最近中学数学から始めたこの旅は一体全体何年かかるのだろうか。ネガティブな何かがが5分に1度は僕の脳みそを通り過ぎた。


しかしそんな時アントニオ猪木の言葉が脳裏によぎる。"迷わず行けよ、行けばわかるさ。"

何歳にスタートしようが、どんな状況でスタートしようが、スタート地点で考えている色んなことはたいてい余計な考え事だったということがほとんどだ。やはり進んでみて、こけてみて、その道のあれこれがわかってくる気がする。

とにかく目の前の単元、問題、授業に専念することを自分に懇々と言い聞かせながらとにかく進んだ。それが一年目二年目でとにかく遂行したことだった。


それと今思えば良かったなと思うことが一つある。

受験始めたての僕は医学部受験のレベル感など、その世界のことをあまり知らなかった。でもだからこそ尻込みせずに変な自信をもってスタートできていた。挑む世界が大きいほど、その世界をほどほどに知っておくくらいの状態がスタートダッシュには適しているのかもしれない。あれこれ考えないために情報は持ちすぎない方が良いのだろう。





そして時は経ち、2024年の入学試験でなんとか合格通知をもらうことができた。

実質2年の間実家の一室にこもって受験勉強をしたことになるが、体感としては10年くらいの歳月を要したような感じがする。ドラゴンボールでそういう話が出てきたのを友達に聞いたことがある。精神と時のすみかみたいなやつだ。

受験後2年ぶりに会った友達にはよく老けたと言われるが、その度に、そりゃこっちは10年経ったから当然だよ、と心で思う。


よくよく考えれば、この2年間は今までの人生とは全く違う状況を味わっていたように思う。

サッカーを始めて、観客の中でプレーし続けた20年間。最後の年は3000人の中でゴールして狼のように吠えまくった記憶があるが、その記憶は本当に最近のことで無理に手繰り寄せなくてもすぐそこにある。

観客や仲間と一緒になって喜び、感動を分かち合う。分かち合うことで、一つの感動は何倍にも膨れ上がり破裂して涙となって外に出ていく。僕はその現象こそスポーツの醍醐味だといつも思っている。あの瞬間、あの空間は本当に特別な体験をもたらしてくれていた。


一方でその後の受験期間は、言うなら圧倒的無観客。感情すらない無機質な壁に取り囲まれ、ポツンと一人机に向かって座っている状況が何時間も何日も続いた。世界はどんどんと進んでいき、自分だけがその世界から孤立しているような寂しさをよく感じていた。自分で選んだ道と言えども、その気持ちには嘘をつけなかった。ペンを無意識に止めて思い出し笑いや思い出し喜びをしている自分に気づくと、なんだか切なかった。最初はそういうことが多かったと思う。


でもある時、時間をかけて悩みまくった数学の問題を解けた時があった。二日間くらい答えを見ずに粘った分、解けた時の喜びは凄まじかった。

思わずガッツポーズを突き上げていた。

誰も見ていないけど、誰かに向けたものではないけど、無意識に渾身のガッツポーズを突き上げていた。


たかが一つの数学の問題を解けただけだが、自分に対して出したそのガッツポーズは今までのそれよりもすごく魅力的に感じた。 

僕はその後我に帰って、こういう瞬間を人生で増やしたいとしみじみ思った。

自分が認めてやれる自分、そいつがだすガッツポーズは本物だと思うから。そのガッツポーズがでたら、本当の意味で自分が満たされると思うから。

気持ちよかった、あの時は本当に。



ちなみに、合格通知を受けた瞬間は案外ガッツポーズなんてでなかった。あれはとても意外だった。体の力が抜けるというか、ホッとするというか、やっと抜け出したというか。そんな感じで拳さえ作る力がなく、ただ涙がでた。その時の涙ももちろん本物で正直な反応だったと思う。


受験合格というのは一つの目標への到達を意味する。

どこかに到達すると安心する、到達することが一つの目標でもあったから安心するのは当然だと思う。でもやっぱり、僕は手応えを感じながらズンズンと進んでるあの時間帯が刺激的で面白いと感じる。

ガッツポーズが出た時のあの感情を味わいたいと最近また思う。またどこかを目指したい。そういう気持ちに駆られている。

そんなことを思いながら、医学部生活スタート。