「宝幢如来真言1時間」。
「ほうとうにょらい」と呼びます。
悟りへの発心を現す如来だそうで、
「如来って悟ってんじゃねーの?」
とか思ったり思わなかったり(笑)。
只、
「悟りって段階がある」と、最近つくづく思う。
「仏教」に全く興味無くて、
「密教」には非常に関心がある。
しかしながら、空海以降の密教を編纂整理されは教えを「純密」と言い、
空海以前の密教を「雑密(ぞうみつ)」と言うけど、
全ての仏の母(産みの親)と呼ばれる「孔雀明王」の呪法で空まで飛んでいた、開祖である、
「約小角(えんのおづぬ)」は、
修験道の開祖として現代でも修験道で祀られているし、
そもそも修験道という、古神道、密教、陰陽道を混ぜたハイブリッドな修法を、
「正統派密教」を名乗りたい人達からは、雑密と呼びたい気持ちも分からなくは無いけど、
私のブログを奇特にも読んで下さっている、奇特な(2回言った)人達は、
「密教」って、ヒンズー教、仏教、イスラム教と混ざりまくって、
「雑宗教じゃねーか!」と暗に言っていながら、
私は、真言を多用する【御祓い(遠隔ヒーリング)】をさせて頂く訳だけど、
仏教も密教も、宗教と呼ばれているモノは全く評価しておりません。
私に必要なモノ、私が求めるモノは、
今で言えば「アミニズム」。
祝詞使い、真言使いの私が言うのも何だけど、
世界各地の現地信仰を無視して、
「霊能力もクソも無い」とだけは言わせて貰います。
精製塩とかグラニュー糖とか、
精製し過ぎたモノは、大抵はロクなモノでは無い。
多少の雑じり気は必要。
但し、要らない雑味は要らないのは事実。
腐敗と発酵の境目。
そんな場所に棲みたい(笑)。