住之江高校ラグビー部の同期に
前川嘉之がいた。

あだ名は「らくご」である。

高校からラグビーを始めたラクゴ。
ポジションは二番フッカー。

兎に角不器用な男でしかも頑固。
だがやると決めたら死ぬほど努力して
長い時間かかっても諦めずやるやつやった。

体格に恵まれてた訳でもなく
けどフォワードの最前列をこなす為
一年からウエイトトレーニングを
地道にコツコツやってた。

ボールを蹴り入れるキッキングの練習は
右足のスパイクがすぐにボロボロになるまで
地面がボコボコになるまで毎日やってた。

右足がダメになってたスパイクで
痛みを我慢しながら走ってたら
走り方がおかしくなって
先生からのお達しで暫く陸上部で
まともに走れるようになるまでお世話に。
そこからずっと速く長く走れる研究してた。

地道に裏方で意地を通しこだわりやり続ける
いい意味で職人気質というか頑固者というか。

結果が出るのは遅かったが
三年になる頃には身長は高くないが
ウエイトトレーニングで恐ろしくええ
所謂ゴリゴリのマッチョではなく
あくまで速く走れたり
相手のフォワードに力負けしない体になってた。
フッカーのキッキングは本人も
「多分全国の高校で俺が一番上手いんちゃうか」というほど
相手のボールを何度か奪えるほどになってた。

走りで皆の度肝を抜いたのが
ラグビーは引退していたが
三年生最後の体育祭。
スウェーデンリレーという
第一走者から徐々に距離が伸びて
アンカーが400メートル走る競技。
リレー系は毎年陸上部が花形である。

僕とらくごは同じチーム。
体育祭のクライマックスで全校生徒が見守る中
スウェーデンリレーのアンカーで
バトンを受け取ったらくご。
らくごより少し先にバトンを受け取ったのは
僕らの年の陸上部のエース。
トラック二周400メートル。

徐々にらくごが差を詰めていく。
他の組は追い付けない
2人のマッチレース。

二周目に入った所で2人のデッドヒートに
全校生徒が熱狂してるなか
徐々に徐々に差を詰めて
最後の最後で
胸のタッチの差で
らくごが差しきった!
らくごがずっとラグビー引退してからも
走ったりウエイトトレーニングを欠かさず
培った鳩胸の差やと僕は思ったぐらい
本当に微妙な差で勝った。

この時の興奮たるや今だに忘れない。
泣き崩れる陸上部のエースの横で
らくごを胴上げした。
ラグビーの顧問の近田先生も
「ようやったらくご!」とごっつ喜んでた。
けど体育祭なので他のラグビーのメンバーも
顧問の近田先生も違う組やから
ほんまは自分の組が負けたから
喜んだらあかんのに(笑)

高校を卒業してからも
らくごの性格は同じで
マナーが悪かったりする輩を見かけると
注意しては喧嘩になり
何度か若い集団にボコボコにされて
それを仲間集めて助けに行った事もあった。
40才こえたぐらいで顔がボコボコになってる
らくごには流石に
俺らもうええ年やねんから若いやつ
それも集団相手に勝たれへんねんから
ちょっとは考えろよと諭したが
「なんか態度悪いやつみたら言うてまうんやなぁ」と
腫れた顔で笑いながら酒を呑んでた。

ほんまもうちょっと器用な生き方できんもんやったかな(苦笑)

そんならくごが胃癌末期と連絡あったのが
2ヶ月前。
ちょうど出演してる映画の舞台挨拶で
大阪に帰っており
その日ラグビーの先輩が映画を観に来てくれたので
一緒にご飯食べて地元でもう一杯呑もうかと
してたときに
たまたま道でラグビーの同期で
らくごの親友の弘と会った時にその話を聞いた。

吃驚するというか青天の霹靂とは
この事やろか。
次の日抗がん剤治療するための
バイパスの管を入れる手術をするというので
僕や先生も含めラグビー部何人か集まった。

そこには少し痩せたらくごがいた。
らくごに会うまでにおおよその状態は聞いていた。
スキルス性胃癌の末期で腹膜にも転移してる状態で
医者からは余命1ヶ月だと。
抗がん剤治療を行ったとしても
1%の望みしかないと。
らくごの妹は看護士をしていて
その道のプロなので
自分のお兄ちゃんが抗がん剤で苦しむより
残り1ヶ月でも余り苦しまず過ごした方が
良いと提案したが
らくごの選択は闘う方だった。

らくごの性格知ってるので
1%でも成功率あるなら
闘う方選ぶやろうとは想像できた。

その夜ラグビー部の同期で
らくごと一番の親友弘と大吉と
僕とらくごの妹とで
激励会をやった。

らくごは全然癌と闘い克服する気でおったので
僕らもらくごなら克服出来そうな気になってた。

3月の終わりぐらいに別件で
大阪に立ち寄ったので
らくごにメールを送った。
しんどかったらまた別日にするけどと言うたら
無理せんでええけどちょっとだけ顔見たいわと
ハートマークをつけて返信してきたので
元気で闘ってるやんと思い
笑わそうと差し入れにエロ本を買って
見舞いに行った。

その時にやせ細ったらくごの姿見て
覚悟はしていたものの
進行の早さに吃驚した。
その時はまだ体はしんどいが話せる状態。

らくごになんか皆に言いたい本音あったら
俺が代わりに言うたるから言えやと聞いたら

「皆俺が死ぬ前提で話するの止めてくれ。俺はまだ全然諦めてないし克服するで」

その時のお前の姿見たら
皆吃驚してアカンと思うのが普通やで(苦笑)

四月の頭に映画の舞台挨拶でまたすぐに
大阪に戻ってくるから
その時にまた顔出すから頑張れよ!と
ハッパをかけて病院を後にした。

本人がまだまだ闘う気でおるなら
俺ら仲間は背中を押してやる事しかでけへんしね。

四月に入り映画の舞台挨拶が終わって
らくごにメール。
すぐに返事が帰ってきたので
病院に見舞いに行って
変わり果てたらくごの姿に絶句した。

既に骨と皮だけになった同期の姿に
目の前では泣くまいと気合い入れてなかったら
危なかった。

僕の話しかけた返事は
声を出すのがしんどそうで
手で合図して返事を返してた。
まだ闘う気力残ってるか?と聞いたら
少し笑って親指立てた。

病室を出たら涙が止まらんかった。

その次の日病院行ったら
うずくまって寝てた。

夜もほとんど痛みであんまり寝れないと言ってたので
挨拶せずそっと病室を後にした。

次に始まる舞台の準備があるので
日曜には東京に戻る予定でしたが
入院してた親父が月曜に退院するというので
1日東京に戻る日を延期した昨日
らくごの妹からもう危ないとの連絡がきた。

もう少し連絡が遅かったら
新幹線に乗ってたので
会えてなかったと思います。

僕と先輩の寺岡くんとで病室に行ったときは
もう白目を向いてて虫の息やった。

けど「まさるや!分かるか?らくご!」と
声をかけたら細くなった指で
僕の指をグッと握った。
それからは今すぐにでもダメな状態が続き
もうダメかと思った状態で
らくごの親友の弘と大吉が向かってると。

そこからは何度も何度もアラームが鳴り
七回は蘇ったかな。
普通であれば楽にしてあげた方が良いと
思われるかもしれませんが
らくごの性格をよく理解してる以上
弘か大吉の顔を見てから
向こうの世界にいかないと
らくごが一番後悔するのは知ってたので。
なので先生も横に居ながら声をかけ続けた。

弘が到着し
らくごに
「お前の為に描いてもろたんやで」と
絵を見せたときに
トクンともう一度返事するかのように
息を吹き返し
静かに眠りにつきました。

2019年4月15日午後5時46分
住之江高校ラグビー部13期生
前川嘉之 
享年45才

早過ぎるぞ らくご!
けど余命1ヶ月と言われて
飯も全く食えずに
骨と皮だけになってからも
2ヶ月間ほんまよう頑張ったな。

偏屈で頑固で意地っ張りで
けどいつも相手の事を気遣ってた
そんなお前の闘志を見届けることができて
ほんまに良かったわ。

もう笛が鳴ったからノーサイドや。

ちゃんと最後まで見送るから
なんも心配せんとゆっくり寝てや。

らくご 
また向こうで会うときまで達者でな!

合掌

住之江高校ラグビー部13期生
松本勝