今井雅之さんとの思い出の中で・・・。

 

「鍋焼きうどん」

 

 

2004年に行われたオーディション。

映画「THE WINDS OF GOD-KAMIKAZE」という作品。

恥ずかしながら

当時歌手から役者に転身して1年目の31才。

正直「ウインズオブゴッド」という作品を知りませんでした。

オーディション雑誌の募集要項に

 

「有名無名問わず!

英語が出来て体が丈夫な人」

 

確かこんなうたい文句だったかと。

 

MDに英語のスピーチを録音して応募し

第一次審査が合格したので

幡ヶ谷のスタジオで第二次審査が行われた。

勿論一次審査を合格してから

THE WINDS OF GODとはどんな作品なのか

小説を買って

その時初めて読みましたかね。

 

オーディション会場のスタジオは

受付の女子以外は見事に暑苦しい

男ばかりでした。

特攻隊の映画だしそりゃそうかと

待合室で座っていたら

いきなり威勢よく

入ってくるなり受付のスタッフさんに

「おー○○ちゃん元気ー!」と

がっちりな体の人が陽気に入って来たかと思ったら

いきなりランニングシャツ一枚になり

待合室で腕立てを始めた(笑)

 

おいおい床固いし

しかもこの人パーやなくてグーで腕立てやってはるわ(驚)

後に思い知らされる今井式肉練の拳立てである。

 

その時僕は素直に

「あれ?このオーディション出来レース的なやつか?」

「この人とは同じ組やないのがええな」

と思いました。

 

暫く待ってると防音扉が開かれ

前の組のオーディションを受けた人たちが出てきたが

皆の表情がなんとなく強張ってるというか。

中には清々しい表情の人もいましたけど。

そのそれぞれの表情の理由は

その次の組で自分が受けた時に理解しました。

 

スタジオに入ると正面に今井さんが座っていた。

 

勿論テレビで見て知ってる有名人。

そしてさっき待合室で腕立てしてた人も一緒だった。

 

今井さんの両隣には

後にリハから映画撮影中ずっと

僕らの英語指導をしてくれた宮本菜穂子先生と

(おっ!ここにも女の人がいてはったとちょっとだけ和んだけど

オーデションの最中はめちゃくちゃ恐い眼差しでしたw)

 

それからカメラを回してる方が座ってました。

(今井さんの元マネージャーで映画プロデューサーの

葛川さんだったと記憶してますが今井さんの圧が強すぎて記憶がw)

 

 

二次オーディションは7名だったかで(はっきり覚えてないが)

NYからオーディションを受けに来てる方も居た。

(この人2次だったか3次だった記憶が思い出せないけど

僕と一緒の組だったのは覚えてますのでごっちゃになってたらすみません)

 

「流石はハリウッドを目指す作品やなぁ」とテンション上がった。

 

二次審査は半分英語半分日本語のオーディション。

 

僕はそれまで芝居のオーディションというものを

ちゃんと受けたことが数回しかなく

ただ台詞を言ったり特技を披露して

数分で終わるのしか経験がなかったので

今井さん自らが演出しながら

所謂ワークショップみたいな形で

進められるオーディションを初めて経験した。

しかも二次審査で一組1時間半も。

 

オーディションが始まると

待合室で思ってた「出来レースでは?」は

との思いはあっさり覆された。

 

腕立てやってた人がめちゃくちゃ

今井さんに責められてる(驚)

ってかなんでオーディションで

こんなに罵声を浴びせられるんやろか?

そんな事を思いながら進む。

しかも募集要項に

「英語が話せる人」と書いてあったのに

全く英語が話せない元プロボクサーだったり

ガチンコに出てた梅宮哲も居てる。

哲も全然英語出来んかったな(笑)

 

なんだろうこの空間!?ってのがその時の素直な気持ち。

 

二人一組になって英語で喧嘩させられたり

(但し今井さんの決めたルールで絶対手は出さず英語だけで喧嘩しろと)

 

浮気をしたことあるかと問い詰められたり

「お前○○やろ!と罵られたり」

 

最終的にNYからオーディションを受けに来た人は

「僕は○○ですー」

と絶叫しながら号泣してた。

(ちなみにその人は不合格やったなぁ)

 

そのオーディションの最後に

今井さんから

「自分を食べ物に例えると何?」の質問が。

 

ロビーで腕立てしてた人は

「血の滴るステーキ」と答えていた。

「なんやそれ?」と

その時は心の中で失笑しましたが

他の人の例えた食べ物を覚えてないので

インパクトというか記憶に残る答えだったのは確かである。

 

6番目に僕の番が来た時に勢いよく

 

「鍋焼きうどんです!」と答えた。

 

今井さんは「おっ!?」とした表情をされて

「なんで鍋焼きうどんか説明してくれ」と。

僕はその時必死であーだこーだ説明しました。

その時今井さんがニヤッと笑い

「OK良いよ!」と言いながら

僕の履歴書に何やら書き込んでるのを見た時に

このオーディションいける!と何故か不思議とそう思った。

 

スタジオを出たとき僕は清々しい顔だったと思います。

会場を出たときにさっきオーディションで一緒の組だった

タンクトップのガタイのええ人が

次勝ち残ったらよろしくな!とがっちり握手を求めてきて

名刺を渡された。

名刺には「44北川」と書かれていた。

 

勝「これなんと読むのですか?」

 

44「よんよんと書いてYOSHI!よろしくな」

 

そう言い残すと暑い日差しの中

昔の酒屋さんが使ってた古い自転車に乗り

颯爽と走っていった。

 

ロンドン公演でキンタを演じ

映画では鈴木少尉役を演じた

44さんとの出会いでした。

しかもその自転車は実際ロンドン公演で

使用してた自転車だったそうです。

 

家に帰って夜になってからやったか

葛川さんという映画のプロデューサーから

3日後に三次審査を受けにきてくれと電話があった。

葛川さんは今井さんの当時のマネージャーで

この前の今井雅之追悼上映会の実行委員をやってくれた方。

 

僕の感は当たってたと大喜びした。

 

3日後暑い日差しの気持ちのええ天気。

オーディションに行く前に洗濯物を干し

本当に清々しい気分だったので

僕はその時に持ってたオーダーメイドで作ってもらった

花柄のパンタロンを穿いて

意気揚々とスタジオに向かった。

 

 

会場に行くとすぐに

オーディション用の主要キャラクターの

英語の台詞の台本が渡され

覚える様に言われた。

簡単な日常会話ぐらいのスキルしかない僕にとって

それはそれは大変で(苦笑)

とりあえず小説で読んだ兄貴の相方キンタの

英語の台詞だけを覚えた。

その時は俺が主役に間違いない!と

何故かそう思ってたので。

 

三次審査は五名になってた。

そしてオーディションは三時間に及んだ。

 

入るなり僕を見た今井さんが

その時既に僕の名前を苗字ではなく

「勝」と言ってくれたのだけど

 

今「勝 これなんのオーディションか知ってるか?」

 

勝「はい!特攻隊の映画のオーディションです!」

 

今「俺やったらこのオーディションに花柄のパンタロンではよう来んわ(苦笑)」

 

勝「・・・。」

 

今「俺の思ってた鍋焼きうどんと違ったな」

 

・・・失敗したと思った。

 

でも自分は晴れやかな気分やったので

それを表現したんですがね(苦笑)

 

何やら僕の履歴書に書き込む今井さん。

 

それから三時間。

 

他の人にはめちゃくちゃ厳しい注文を付けたけど

僕は割かしスルーされました(笑)

 

台詞を言う場面では

松島少尉の台詞をと言われ

キンタの台詞以全く読んでなかった僕は

ちんぷんかんぷん(苦笑)

 

「リンカーネーションについてどう思う?」と

英語で質問されてもちんぷんかんぷん(笑)

 

・・・終わったと思いました。

 

最後にメインキャスト以外でも

特攻隊員として台詞はなくても

撮影の為に坊主になれる人は挙手といわれ

その時は誰よりも速く最初に勢いよく

手を挙げた事だけは覚えています。

 

そしてその次の審査には呼ばれず(苦笑)

それから暫くして

葛川さんから

「特攻隊員として映画に参加出来ますがどうしますか?」と

電話を頂き

勿論出させ下さい!と返事したのが

その後続く今井さんとの縁の始まりでした。

 

因みに二次審査で英語が全く話せないのに

オーディションを受けに来た元プロボクサーは

僕と同じ特攻隊員として映画に出演し

劇中で「OH MY GOD!」と

叫ぶ印象的なシーンを演じた豊永伸一郎でした。

 

それが僕と今井さんの

鍋焼きうどんの思い出。

その後今井さんと呑みに行くようになり

この時の話をたまにされて

そのたんびにあーやこーや言い訳して(笑)

その話が出た次の日は季節関係なく

近くのそば屋で鍋焼きうどんを食べましたっけね。

 

 

「カツ丼」

 

 

カツ丼も今井さんと僕だけでなく

映画のメンバー全員のなくてはならないツール。

 

僕たちの戦友であり

大切な仲間である田中正範。

今井さんの作品の舞台のオーディションで

役者デビューをして

女優の最所美咲と共に

今井さんが九州から東京に連れてきた役者。

 

とても可愛がってました。

今井さんの付き人もやり

2005年のウインズの舞台では

松島少尉を演じ

今井さんのアンダースタディとして

稽古場では兄貴も演じました。

 

ノリ(田中正範)が病に倒れ

亡くなったと聞いたのは

渋谷のある店で

歴代の舞台ウインズメンバーや

映画のメンバー。

それから舞台「産隆大學應援團」のメンバーも参加して

盛大に盛り上がった今井さんの誕生パーティーで

夜通し盛り上がり

朝7時過ぎに自宅に戻って

寝てからすぐの事でした。

 

電話を聞いてリスさん(松本匠)の家に

続々と集まる映画メンバー。

何が起こったのか?

本当か?

訳が分からない。

それは今井さんもそうだったと思います。

ノリは誕生パーティーに参加しませんでした。

 

「あいつはどうしたんだよ?」の今井さんの問いに

誰も答えられなかった。

それは極々一部の人しか知らなかったから。

ノリとずっとプライベートでもやり取りしてた

人見将之とリスさんしか知らなかったから。

 

そういえばノリに最後に会ったのが

亡くなる前年に

最所美咲が「Oh!Labanba」という演劇ユニットを立ち上げ

主演の美咲の相方役に同郷でデビューを共にした

ノリにあてがきで書いた役があり

オファーをしたのだが丁重に断られたと聞いて

同じくあてがきで書かれた役をもらい

オファーを受けてた僕は

本番を観に来たノリに

「お前なんで受けへんかってん!」

「とりあえず今日打ち上げ来るんやろ?」

「久々にがっつり呑むか?」と畳みかけたんですが

 はにかみながら

「勝さん今日はちょっと。また必ずご飯いきましょ」と

笑顔で返事したノリ。

 

ノリがその時既に病に侵され

闘病中だった事はノリが亡くなってから知りました。

 

ノリ あの時はほんますまんかったな。

 

横たわるノリの傍らで

集まった僕たちにノリのお母さんが

亡くなる直前にノリが

「カツ丼が食べたい」と言って

その後息を引き取ったと聞いて

家族の方はなんで?と意味がちゃんと分からずだったそうで

それは別にノリが子供の時から

特別に大好物でいつも欲してた食べ物でなかったからなんですが

僕たち映画のメンバーは全員すぐに涙があふれた。

 

僕たちが映画の撮影で鹿児島県の国分市に

一ヵ月滞在した時

ホテルの近くに

「こけし」というとんかつ屋さんがあって

ほんまに安くて美味しくてボリュームがある

カツ丼をみんなでしょっちゅう食べてて

ノリは亡くなる直前に

共に過ごしたあの撮影での日々を思い浮かべ

亡くなったんだと

その時知った。

 

勿論今井さんもそうでした。

 

だからその後今井さんの誕生日会が行われる度に

ノリを想ってカツ丼を食べたましたね。

 

「あいつ俺の誕生日に死にやがって」と

言葉こそ憎まれ口でしたが

今井さんはいつもその時どこか

悲しげな目をされてました。

 

僕もそんなにカツ丼が特別大好物ではないですが

暫くは4月21日にしかカツ丼を食べる気持ちにならず

4月21日はどんなことをしても

カツ丼を食べる時期が少しありましたね。

タケウチコウから

「まーちゃんそんなに思い詰めたらノリさん心配するよ」と

嗜められてからその日しか食べない縛りは止めましたが

それでも今も僕がカツ丼を食べる時は

何か特別に心を奮い立たせる時。

それ以外は食べれなくなっちゃいました。

今年も勿論食べましたよ。

 

先日行われた「今井雅之追悼上映会」で

久々に大きなスクリーンで

「THE WINDS OF GOD-KAMIKAZE」を観た時に

今井さんの顔とノリの顔も見れて

何度も込み上げてくるモノを抑えました。

 

本当はノリの事も話したかったけど

今井さんの追悼上映会に

お前の話ばっかりしてもうたら

今井さんに

「俺の追悼上映会やぞ!」って言われそうで

触れなかったけど

あの時会場に居た仲間たちは

皆心の中で僕と同じ思いを持ってたと思います。

 

今井さんとよく呑みに行ってた時は

呑み屋のあと

朝方ですが

今井さんの分室(作業部屋)で

今井さんがその日の締めで

手料理を作って下さいました。

今井さんの作ったペペロンチーノは

ほんまに美味しくて

一番回数食べたと思います。

冬場のみそ鍋もほんまに美味しかった。

時たまレシピを教えてくれたが

僕自身料理しないので

全然覚えなくて(苦笑)

ちゃんとメモしてたら良かったなと後悔。

 

本当なら命日の今日はペペロンチーノを食べたい

そんな気持ちもありますが

今井さんのペペロンチーノを超えるのを

どの店でも食べた事がないので

食べるのを止めときます。

 

その代わり

僕がオーディションで今井さんと出逢った時に

今井さんが喜んでくれた

鍋焼きうどんを今日は食べたいと思います。

 

去年のウインズの京都公演の日に

奈良橋陽子さんと二人でホテルの近くの

食堂に入って

二人で何食べようかとメニュー見てて

同時に「鍋焼きうどん」ってなった時

僕はなんでか嬉しくて笑ってもうた。

今井さんもその場におったら

きっと鍋焼きうどんを

師匠でありゴッドマザーである

陽子さんと一緒に食べたんやろかなと。

 

命日の今日は

今井さんが残した想いが沢山詰まった

映画「手をつないでかえろうよ-シャングリラの向こうで-」の

公開初日です。

 

早かったけど長かった

待ちに待った公開初日。

 

無事に初日を迎えてから

スケジュールを見て

ゆっくり出来る日に

今井さんの墓参りに行きたいと思います。

 

 

押忍!