そんなこんなで44さんから簡単な気分で引き受けた仕事は
外国人レーサーの通訳というとんでもない仕事で
僕レベルの英語で太刀打ちできるもんではありません。
そもそも自分が今からどんな種類のレースに行くのかも知りませんでした(苦笑)


44さんに速攻でメールし
外国人ドライバーの通訳なんて聞いてないし
しかもステージ上でなんて出来るわけありませんやんと伝えたら
暫くしてメールの返信がありました。


「勝なら出来るさ グッドラック!」


出来るかいっ!(怒)


そのレースとはSUPER GT
国内最高峰で人気もあるレース。
けど正直それまで全然知りませんでした。
中学の時にアランプロストが好きでF1よく見てましたがね。


そんでDUNLOP の担当チームが
EPSON NAKAJIMA RACINGDENSO DUNLOP SARD SC430


・・・中嶋レーシングって僕がずっとテレビで見て応援してた
日本人初F1ドライバー中嶋悟さんやんかぁぁぁぁぁ(絶叫)

こりゃぁメディアとかも結構くるんちゃうか?
そんなとこでレースの事もちんぷんかんぷんで
英語も小学生低学年レベルの僕が通訳なんかできる筈がない。

途端に胃が痛くなり
鈴鹿サーキットについた日のブースの設営作業は何をやったか
全然覚えてません(苦笑)


ステージ場の通訳だけではなく店舗の設営から
大会当日の運営業務もこなしての通訳ステージ。

めまいがしました。


・・・兎に角やるしかない。

そして次回から正式に通訳できる人に代わってもらおう。

シーズン初日でしたから
ダンロップの社員さんも一緒にその晩に食事に行き
今年のステージでの通訳ですと紹介されると


Tさん「松本さん標準語は話せますよね?」
勝「え?勿論話せますよ?・・・ってダメですか大阪弁は?」
Tさん「そりゃやっぱり通訳が関西弁はダメでしょ?」
勝「アハハハハハ(乾いた笑い)」


これで完全にアウェイである。

英語→関西弁→標準語

ただでさえ選手の話したことを
正確に素早くお客さんに伝えなければいけない通訳なのに
完全にアウトである。


金曜日に現地入りして設営作業
土曜日がGTの予選日で
日曜日が決勝という流れ。


金曜日の飲み会が終わって次の日が確か5時前ぐらいに起床でしたが
英語が堪能な友達にメールし
予定されてる質問の内容を英訳してもらい勉強しました。
これがほんとの一夜漬け(苦笑)


その友達からもあんたの英語力で通訳なんて無謀にも程があるし
通訳を舐めるなと叱られ
すぐにキャンセルしなさいと心配されましたが
既に現地入りしあと何時間かしたらステージだと告げると
勝らしいが今度ばかりはどうにもならんだろうねと同情されました(遠い目)


そして予選日。


その日はDENSO DUNLOP SARD SC430のトークショーで
飯田監督と高木虎之介選手とアンドレ クート 選手。

44さんから朝方に来たアドバイスメールで
MCさんと打ち合わせを綿密にし
質問内容を予め選手に目を通させ
答えは短いセンテンスにしてくれとお願いすれば大丈夫だと。

・・・予選の合間の忙しいタイミングでサクッとブースに来て
さくっと帰るのにそんな時間あるかいっ!(絶叫)


しどろもどろな英語でクート選手に
「僕は貴方の通訳です。今日からよろしくお願いします」
ってやっと言えたとこぐらいで
ステージの本番が始まりました(号泣)


ただクート選手は無口だとブースに来たお客さん(多分ファン)が言ってたので
兎に角余り話さないでくれと祈るばかり。

奥から高木選手、飯田監督、クート選手。
全員チーム内での会話は勿論のことながら英語でして
飯田監督も前年までマシンに乗ってましたし
高木虎之介選手も元F1ドライバーで
国際レーサーですから英語が話せて当たり前の人らに混じり
英語が全くダメな通訳の僕(遠い目)

いやぁもう笑うしかないですが
こうなりゃ当たってくだけろの気持ちで挑みました。

飯田監督が饒舌でシーズン初めと云う事もあり
あんまりクート選手に質問がこなかったのが幸いでした。
ほとんど飯田監督が話をしてくれたのと
予選の準備で15分のステージが短縮され
ほとんど話す時間無く終了しました。

ただ休日の過ごし方の質問で
家族の話になったときにクート選手のテンションが急に上がり
ごっつ長いこと喋ったんですが
途中何言ってるのか全然解らなくなり
しかもメモもちゃんと取れなかったので
最初の方の事も何言ってたかすっかり忘れてしまい

僕の通訳が

「休日は家族と楽しく過ごしてますわ」とだけで終わると
思わず真ん中に居た飯田監督が僕を二度見しました。

余りにも短縮しすぎたのが余程吃驚したのでしょう。
唖然とされたままでした。
あの時の飯田監督の「えっ!?」って顔は今でも忘れません。


その晩44さんにメールし
やっぱり無理ですから後任を探してくださいと嘆願しました。

なんぼ悪運の強い僕でもそうそうラッキーは続きません。
そして次の日の決勝はEPSON NSX。

そう日本人初F1ドライバー中嶋悟さんのチーム。

しかもちょうどGT1戦目の決勝日が
中嶋さんの息子である中嶋一貴 選手の
F1デビューの日と重なったのである。

当然メディアの数も半端無いだろうし
ステージを観に来る客の数も全然違うだろうし

まぐれは2度も続かんと思うが
逃げる訳にはいかんので
また友人にメールで英訳を手伝ってもらいながら
寝る間を惜しんで次に備えました。


そして次の日。


よろしくないお知らせが・・・。



EPSONのトークショーですが
平中克幸選手がホンダのブースと重なったので来るのは
中嶋監督とロイック デュバル 選手だけになります。


中嶋監督はその前の年のダンロップブースでは余り多くを語らなかった
どっちかといえば寡黙な方。
そしてフランス人ドライバー。
頼みの綱の日本人ドライバーはホンダのブースに取られた。


そっと陰に隠れ44さんにこっそりメールを打ちました。


「今から特攻してきます」と。




続く。