大学では開発学を勉強していた。

海外の大学で勉強しようとも思ったのも、将来は国連や世界銀行といった国際機関で働きたいと思った理由が大きい。

大きい国際機関で働けば貧しい国の貧しい子供を救えると思った。

国際機関で働くには修士号は基本必要なので、ストレートで大学院に行くか、JICAや民間企業で一回働いてから大学院に入ろうと思っていた。

大学では途上国での経済開発と政治開発について勉強した。

当時はWilliam Easterlyの開発学の本を読み漁っていて、言っていることにも共感出来たので、大学院はWilliam EasterlyがいるNew York Universityに行こうと思っていた(たしか当時もそこで教鞭をとっていたはず)。

 

どのような方法が途上国での貧困をなくすために一番良いのか100本くらいリサーチペーパーを書いていた。

ちなみに今のUnited Worldという会社は当時にリサーチペーパーで書いた内容を実現したもので、各国内、越境での人材紹介・派遣によって雇用の増加と賃金の上昇の促進、人材データの管理、人口ピラミッド変更、紛争と戦争の回避のための人材移動の実現、国境を越えての人材流動を加速させる考えに基づいて起業している(←かっこつけて言うとそんな感じ)

 

机の上で勉強ばっかしてて考えあぐねても、机上の空論で終わる。

やっぱり現地の人の生活を見に行かなきゃダメだ。

よし、大学の夏休みって長くて暇だしアフリカに行こう。

どうせだったら出来るだけ危険なところ、最貧国に行ってみよう。

うーん、でもやっぱり現地の人と直接話したいから英語圏のところの方がいいな。

英語圏は南地域なのか、よし南アフリカ地域の国に行ってみよう!

そこで、ネットで南アフリカのヨハネスブルクという地域について調べると、時計をつけている人はナイフで手で切られ、時計を奪われるというニュースがあるくらい危険だと言っている。

 

まじか、まじで怖い。どうしようやっぱ行きたくないな。。。。

やめようかな・・。

でも口だけ机上空論男になったら男がすたる。

でもどうしても怖くてネットのチケットを買う申し込みボタンが押せない・・・。

PCと睨めっこしててもどうしよもないので、台所にあったルームメイトのウィスキーを一気に飲み干した。

ルームメイト:ん?なんでお前いきなりウィスキー飲んでんの?

俺:アフリカに行くためだよ

ルームメイト:はっ?

 

そして酔った勢いでチケットをなんとか購入した。

うわ・・まじで買っちゃった。

しかも1ヶ月間も滞在することにしてしまった・・・

俺生きて帰れるかな・・

 

そこから色々とサイトで行く前の準備を調べると、ワクチンを打ってからじゃないと南アフリカに入国できないことがわかった。

大学の病院で4本くらい注射をうってもらって、マラリアや黄熱病などの感染症対策の薬もたくさんもらった。

これって、現地の人はここまでしてもらえないんだろうな・・。

なんでただの観光客みたいな俺がここまでの医療を受けられるんだろう。

世界ってけっこう理不尽だよなと思った。

 

前日から怖さで震えながら時間を過ごし、当日飛行機にのっていざアフリカへ旅立った。

そこから南アフリカ、マラウイ、モザンビーク、当時最貧国と言われていたジンバブエを回った。

現地でボランティアしたり、国連やJICAの事務所を訪ねたりした。

 

正直怖い目にもあったし、現地の人々の生活を見て色々とショックを受けた。

当時の旅の日記があったので、興味ある人はここから→ 

 

 

現地の人々の現状を見たり、国際協力機関の職員方達と話して、自分が目指す道に迷いがとても生じてしまった。

本当に援助が一番の方法なんだろうか。。。

すごく迷って、答えがわからなくなった。

 

そんな中、なぜかアフリカにまで1冊の本を持っていてたので、気兼ねにその本を読んだ。

「裸でも生きる」という株式会社マザーハウス代表の山口 絵理子さんが会社を起業した経緯や会社を設立してからの奮闘が書いている本。

マザーハウス社は「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念を掲げ、革製品の素敵なバッグや財布といった商品を製造・販売している。

山口 絵理子さんは慶應義塾大学からバングラディシュの大学院に進学して、社会人経験もろくになしでバングラディシュで起業して、バングラディシュで取れるジュートという繊維を使ってバッグを作っていく。

途上国でビジネスをやるということはとんでもなく難しい。色々な人に裏切られながら、ゼロから革製品をつくって日本で販売していく激烈な起業日記を読んで体に電撃が走った。

こんなすごい人が日本にいるのか。

こんな難しいことを可能にして、こんな不可能なようなことに挑戦しようと思える人がこの世にいるのか。

こんな打ち震えるような挑戦をしていたら、きっと人生楽しいだろうな。

 

俺も起業したいと思った。

人生1回だし、どうせやるなら一番難しい選択と挑戦を常にしたい。

俺に起業なんて出来るわけない。そう思えるからこそやってみたい。

俺も起業してこの世界を良くしたい。

 

よし、国連に入らないで国連を超える組織、会社を起業して自分で作ればいんだ。

United Nationsを超えて、世界をもっと繋げられるように会社の名前はUnited Worldにしよう!

 

そして、大学卒業後日本に戻って起業に動くことになる・・

 

最近、弊社のクライアント様のインタビュー記事を作らせてもらっているのだが、

インタビュー取材を重ねる中で、どうしてもマザーハウス様について取材させてほしいという気持ちが抑えることが出来ず、

いきなりめちゃくちゃ長い暑くるしい文面をメールしてみてしまった。

そしたら広報の方が快くOkayしてくれて、インタビュー記事を作らせて頂いた。

インタビュー記事:

 

 

本当社員の方々もめちゃくちゃ良い人で感動した。

 

なんかけっこう人生って線になって物語になっているなと感慨深くなった。

その記事こちら。マザーハウスの皆様お忙しい中本当にありがとうございました。

 

ちなみにその後、大学を卒業してすぐに起業した。

 

結果、起業はすぐに失敗した・・・・・・笑

 

続く