ああ、無情!!masarinの読書ブログ

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読書の感想を書いています。ゆっくりしたペースで更新しますので、よろしくお願いします。

1,序章:三国志の舞台と諸葛亮孔明の登場
ご存じ、三国志の大軍師諸葛亮孔明のお話です。
ただ、大元は三国志の正史である、陳寿の「三国志」をベースにしながら、書かれていない部分は宮城谷昌光の想像で補完しています。個人的には、宮城谷昌光の書いた「晏子」でもそうでしたが、この想像で補完している部分がとても面白いと思うのです。

一番の特徴は、三国志演義にあるような幻術的な策略を張り巡らせて戦っていく、大軍師諸葛亮孔明というよりも、実像に近い大政治家諸葛亮孔明が描かれているということでしょう。

2,幼少期:諸葛亮孔明の家族と早期の試練
話は諸葛亮15歳のときから始まります。
この当時、孔明は兄の諸葛謹や二人の姉、そして弟と暮らしています。母が死んだということで、父は後妻を娶ります。これがちょっとした難をもたらします。孔明が15歳ながら想像するに、母が来たことで父は体を壊すのです。意味はわかりますね。閨が激しかったということです。父はそのことで命を落とします。

そのときに曹操が徐州に進行します。
徐州にいた父を、徐州太守の陶謙に都まで護送してくれるよう依頼するのですが、護衛役の武将が曹操の父の運んでいた財産に惑わされて、曹操の父を殺して奪い、逃走してしまうのです。怒った曹操は復讐のために徐州を攻め、民衆を大虐殺します。もちろん、民衆は関係ありません。

孔明一家は徐州を追われてしまうのです。ただ、喪に服して父の墓を守るべき、長男の諸葛謹と義母はその地に残ることになります。後に、諸葛謹は呉の重臣になるのです。詳しく書いてきましたが、この経験が後の孔明の行動を決めるのです。つまり、魏には仕えないということです。

孔明一行は叔父を頼んで一緒に汝南方向へ逃げます。そこで、叔父は太守になるのですが・・・・・・。


というように、あまり三国志で語られることのない、劉備玄徳と荊州出会う前の孔明を描いていきます。それが冒険譚になっていて、面白い。そのなかで、孔明の政治家としての視点が出て行きます。一歩引いた俯瞰で見る人物鑑定の妙。儒学や倫理を重視する人物をあまり高評価しない(ないという意味ではない)、実学を重んじる傾向もここで培われていきます。

宮城谷昌光の描く人物には特徴があります。それは、政治家として素晴らしい人物は、商売人としても大成する資質を持つという特徴です。従来は、政治家や武将は、農業経営の資質がある人物というように描かれています。宮城谷昌光は、司馬遼太郎の路線を踏襲しているということでもあるのでしょう。司馬遼太郎が描く人物も、商売人であり、合理的思考ができる人物を最良の人物としています。

劉備に仕えるようになってから行ってきた政策は軍人としてというより、政治家としての孔明の力量が感じられます。

孔明は叔父がまず商売が上手で、その資質を受け継いでいます。
荊州では、曹操に仕えるのを避け、隆中という山の中に遁世します。その資金は、叔父の家財を継いだ人間から提供されるのです。その人物から孔明は、資金とともに情報を受け取っています。そこは抜け目ない。


3,晩年の諸葛亮:北伐の教訓と遺産
孔明の戦といえば、晩年の北伐が有名です。
このときも、一回目の北伐では、戦があまり上手でないという描き方がなされます。このときに起こったのが「泣いて馬謖を斬る」です。これも孔明の武人を見る目の甘さが招いたとされています。
ただし、そこは天才・諸葛亮孔明。敗戦から学び、その当時の最強軍隊を作り上げます。そこからの快進撃は・・・・・・。実際に読んでみましょうね。