12月6日。

遺体が安置されてる葬儀屋へ、昼過ぎに行って夕方まで棺の中の母ちゃんにずっと語り掛けてました。

子供の頃、結婚した頃、離婚した頃、再婚した頃、免許取得した頃・・・・・。

棺の前に椅子持ってきて、顔は触れないから、棺に寄り添って・・・・・。

その当時の思い出も蘇り、ボロボロ泣きました。

やっぱり辛いですね。

そろそろ帰ろうかなと準備して、スマホを覗いたら職場の統括からショートメールが届いていて。
※弟からモバイルバッテリーを貰って電源落ちはしてません。








ショートメールで返事するより、直接電話がいいだろうと、葬儀屋さんの場所を伝え、葬儀屋さんの本館で統括を待ちました。

30分後、葬儀屋さんに来た統括は、喪服を着て数珠まで持参で、更に香典まで😭

遺体安置場所は、17時までだったのでギリギリで着かれて、色々とお話をして葬儀屋さんを後にしました。

この日は普通に過ごし、翌日の準備をして早めに寝ることにしました。

夫は、父ちゃんの火葬の時、収骨場の匂いがダメだったようで、ゲーゲーなってたんで誘うのを止めようと思ったんだけど、行くって言うんで大丈夫かな?と思いながら次男のアパートへ次男を迎えに行き、その後、長男のアパートへ向かい、葬儀屋へ。

10時着の予定だったんだけど、少し早めに到着したら既に弟の車が!

皆で遺体安置場所へ。

その数分後、母ちゃんの弟夫婦も来てくれて。

叔母さんは、母ちゃんの姿を見て号泣。

「ごめん」って言って、外に出られたんで、私も一緒に外へ。

この時に、通い介護の事や、入院中の事、そろそろと言われたから、仕事帰りにほぼ毎日面会に行った事を伝えました。

「心配してたとよ?正美ちゃんが憔悴してるんじゃないかって。普通にしてたから、安心してね。慶(叔母さんの長男)がね?正美ちゃん、辛くてボロ泣きしてるかもしれんけん、お母さん、正美ちゃんを支えてあげてね?って言われたと。」
って涙ながらに言われて。

だから、覚悟ができていたことと「あぁしとけば良かった。こうしとけば良かった」って亡くなった後で後悔しないように、そろそろ危ないって病院から言われてから、仕事帰りに毎日面会して母ちゃんと沢山話したんで、涙は出ませんでした。って説明しました。

肩を撫でてくれて「うんうん。義理姉さんも嬉しかったろうね。正美ちゃんも気を落とさんようにね」ってまた号泣。

その後、入院していた病院と、弟の職場の社長からお花が届いてたので、皆でお花全てを棺の中へ。

棺の中は、お花でいっぱいになりました。

そして、大好きだった焼いた小さなピザも一緒に。

そして、出棺。

私は、母ちゃんと一緒の車で火葬場へ向かいました。

細かなことは書きません。

行った人にしか分からない火葬場のしきたり。

全てが終わり、ちょうどお昼をすぎた時間だったから、お昼を食べき行きました。

叔父さんと叔母さんは、用があるとのことで火葬場で解散。

私達家族5人で、近くの釜飯屋でお昼を食べました。

夜も集まることにしたので、一旦家に戻り喪服を着替えて、長男のアパートへ。

着替えた長男と一緒に次男のアパートへ。

夫は仕事をしなきゃいけなくて、自宅で別れました。

行きつけの居酒屋に予約を取り、20時から21時くらいまで美味しい料理を食べました。

ご夫婦で営まれてる居酒屋で、イケスもあるから鯛のお造りを作ってもらいました。

母ちゃんは魚の刺身が大好きなので、母ちゃんが好きなお料理を頼みました。

その後、弟が二次会!って言い出して。

またまた行きつけのスナックへ。

夜中の1時まで、飲めや歌えやの大はしゃぎの弟・・・・。

私も歌いましたけど、弟の弾けようが凄くて少し引きました(笑)

弟は立ち上がり、フロアを歩き回り、楽しいことが好きだった母ちゃんのために。

母ちゃんも一緒に、楽しんでたと思います。

弟は代行で帰り、私は夫を家まで送り届け、私は息子2人を家まで送り届け、自宅に着いたのは夜中の3時前(笑)

すぐ寝ました😴

今日は、様々な手続きがあるので、バタバタです。



送り出すときに
涙が出なかったから
薄情なのかな?って思ってた
でもそれは違うって
Kさんから言われました
まさりんは
充分辛い思いをしてる
充分悲しんでる
それが涙となって現れないのは
後悔してないから
お母さんのことを愛しているから
その気持ちはお母さんにも伝わってる
安からなお気持ちで逝かれてる
だから薄情なんて言わないでね




母ちゃん
今までありがとう
まだ近くにいてくれてると思うけど
私は大丈夫だから
安心してね


49日は、母ちゃんが大好きだったピザ屋さんに行こうかな。