日々是一進一退 -87ページ目

日々是一進一退

20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

事細かな生い立ちや、表現に対する考えの全てをもちろん知っているわけではないので、あくまでも私の印象です。


よくブログにも貼り付けている“Galileo Galilei”。

8年程の活動期間の中で、楽曲のスタイルの変遷がかなり大きいのですが、通奏低音の様に「追いかけてくる何か」が歌われています。それは自らの歩みを縛りつけるしがらみなのか、前へ進む事を阻むものによる閉塞感なのか、あるいはその両者が創り上げるぬるま湯の様な変わらない日常なのか。


究極的には「死」が視界に入っていて、逃れる事の出来ない究極のエンディングであり、そこに辿り着くまでの鬱屈に対する救いのように歌われてもいます。


楽曲の爽やかさと、洗練されたギタープレイに尾崎雄貴のボーカルが乗ると、ともするとドライビングミュージックの様に聞き逃してしまいます。




そして対極にいるアーティストだと感じるのが“King Ngu”。

常田大希を核としたバンドとしての活動や、オーケストラを率いての曲作り、映像に対するこだわりなど、音楽を軸にしたまさに「アーティスト」であり、常田大希と志しを同じくするアーティストの集団。
自らが見た事の無い、見たいものを探し続ける、表現者としての限界まで行く事に取り憑かれた人なのだろうと思います。





奇しくもこの2人は1歳違いで、早くから才能を認められ評価されています。

タイトルの「持てる者と持たざる者と」。

“Galileo Galilei”は北海道出身のバンドで、10代のアーティストを発掘する「閃光ライオット」の初代王者。

突出した才能で世の中に出てきた彼等ですが、首都東京から遠く離れた地で、「都会の子と同じおもちゃで遊んでいるけれど」「私たちに愛される私たちのリアルな漫画は、すでに両手になにかもってて 離したり掴んだりストーリー。ほんとうの私なんかはなんにももっていないですから、それら漫画や歌なんかを 掴んだり離したりするのです。
あー未来の私が 白装束で立ってる」と思いながら毎日を過ごす「持たざる者」。

対して、“King Gnu”の常田大希は出身こそ長野ですが、東京芸大をチェロ専攻入学、様々な楽器を操り(シタールも弾けるらしいです)プログラミングまで出来て、オーケストラまで率いる訳ですから指揮の才能まである。
そもそも東京芸大に入れたからこそ、これだけ豊かな環境にアクセス出来たともいえます。

もちろん、才能が突出している人ならではの理想と渇望があるのだろうと思いますが、「社会と結びついた音楽をしたい」という理由で東京芸大を中退しています。

取り上げた「三文小説」。

「愚かだと分かっていても尚
足掻き続けなきゃいけない物語があるよ」

彼の楽曲を聴いていると、本当に出来がいいのです。
もうほんとにそつがない。
美しいし、かっこいいし、心地よさもある。
まとまっているのです。
だからこそ、本人は「もっとひっかかりが欲しい」といった表現で、納得の行くまで手を加え続けます。

「持てる者」だからこその焦燥感に思えます。

「持てる者」だからこそ、「三文小説」を描き続ける男性と、それを支える女性の物語にある種の憧憬をそこに見出すのではないかと。まさに「高等遊民」。


この対極にある2人のアーティストはどちらもまだ20代です。
私なんかは歌を聴いていて(とりわけ常田の方は)若いなーって思ってしまいますが、これから更に変化をしていくのだろうと思うと羨ましくもあります。


そして、対極にありながら同じ世代なのだなと感じる共通点が。

「三文小説」の中に

「この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから」

という歌詞があるのですが、“Galileo Galilei ”の
「星をおとす」の中にも

「だんだん年をとっていくたび
あなたの声もゆるやかに老いて
次なる小さな花の種を
土の上に吐いて死ぬんだ」

という歌詞があって、彼等の世代にとってはパートナーと年老いるまで共に過ごす、というのはある種夢物語の中にしかないハッピーエンドのような感覚なのかもしれないなと。

簡単に繋がれる世界は終わる事も簡単で、支え続けてくれる人がいるという安心は得難いものになっているのかもしれません。