もうあちこちで語られていますが。
やっと「終劇」です。
ミサトさんと同じく歳を重ねてきたので、ほぼミサトさん視点です。
TVは再放送からですが、劇場版は全て映画館で観ています。リアルタイムで見知らぬ人と物語を共有している空気感というのは映画館ならではですよね。
(エヴァの場合は、観ている人達が同時に困惑してたりするのがわかる稀有な映画でもあります)
「シン・エヴァンゲリオン」
最後は庵野秀明も含む、解放の物語だろうと思ってはいたものの、続編もスピンオフも作れないように畳んだあたり、見事というよりは「解放もしくは決別」なんだなと理解しています。
ファンもある種開放感されたのではないかと。
相変わらずCGのセンスは素晴らしくて、冒頭部分はエキサイトしてましたが、後半畳に入ってからは「え、まじか⁈ほんとにそんな理由か⁈っていうか急に色々と仕組まれてたとか、聞いてない」と畳っぷりに困惑いたしましたが、TV版の再編集であるという事を思い出せば確かにおかしくはない。
ネタばれしないように書いてますのでわかりにくいと思うのですが、「神殺し」とは「父殺し」なのだなと。
庵野秀明、妙に女性心理に長けているって思っていましたし、実際そこらの男性よりは理解がありそうですが、やはり女性が求められるのはそこか、特に日本では、と。
(男性を)理解してくれて、受け入れてくれて、立ててくれて、尊敬してくれて、守ってくれて、盾になって闘ってくれて、全部こなしてなおかつ美しくて優しいというまさに「女神」。
いや、もちろん女性側も同じものを求めてはいるんだろうと思うのですが、その「女神」に対する崇め奉り方とそれ以外の女性に対する仕打ちの落差が激しすぎるというか。(赤木母娘なんて2人して碇ゲンドウの愛人ですよ?)
親友を失ったアラン・チューリングが人工知能で親友を蘇らせる事が出来るのでは、と考えたエピソードを観ながら思い出しました。
1人の人間の思いが世界中を何世代にも渡って巻き込むわけですが、基本的に闘い続けてケリをつけるのは女性達なのですよね。
レイもアスカもミサトさんもリツコも、物語を繋ぐ為に存在し、マリが物語を引き継いでいくという。
いやー、ミサトさんだけは最後までミサトさんだったなー。かっこよかったです、本当に。
あーでも泣けます。
ミサトさんには幸せになって欲しかった。
昔のブログ、実は⑥まであったり。
きっと観た人それぞれの「エヴァ」があるのだと思います。
立ち読みなのですが、この本に出てくる「モテない」男性にとって女性は「女神」か「それ以外」なのだそうです。
わかるような気もするのですが、それではやっぱり生きづらそうだなぁと。

