薔薇のために〜少女漫画らしくない最終回 | 日々是一進一退

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20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

以前もおすすめさせて頂いた吉村明美の漫画、北海道が舞台なので冬になると読みたくなるのですが、本屋さんをうろうろしていたら(毎日昼休みにふらふらと)、

という本が出ていて、「これは『薔薇のために』紹介されているよな」と立ち読み。

『薔薇のために』を傑作たらしめている要素は数々あるのですが、やはり一番はヒロインが「ブスである」ところ。

よく少女漫画にある設定ですが、「えー、全然『ブス』じゃないよね?」とか、物語が進むにつれ何故かかっこいい男子に「見初められ」て、きれいになっていく、もしくは眼鏡をはずしたら、とかメイクやお洒落をしたら、とかで「本当はかわいかった」「ポテンシャルがあった」でハッピーエンドのパターン。

古くは「マイフェアレディ」のパターン。

『薔薇のために』もそういう展開を見せるのですが、これがそうそう単純ではない。

主人公のゆりは「ブスな上に突然天涯孤独になり、お金もなく進学もできず、何も持たない高卒女子」。
それが実は本当の母親は女優で、異父姉兄の美形の姉、兄、弟がいることを知らされ一緒に暮らし始めます。

が、母親は奔放な女性、姉は自堕落、兄は口が悪い、弟はセクシャリティの問題を抱えている。
かつ全員美形だから主人公はお手伝いさんのような立場に甘んじながらも行く場所もなく、本来の芯の強さと明るさで生き抜こうとします。

ですがそもそもの「ブスである」というコンプレックスを増大させられる環境。

その中で、兄である菫に「自分は好きでブスなんじゃない!自分の力でキレイに産まれた訳じゃないのに、人をバカにする権利があるのか?」と訴えた後の会話。

菫「バカヤロー、自分の力できれいなんじゃねーか」
 「生まれた時はみんなサル!きれいなやつってのは
  自分でキレイを維持してんだよ」
     「どうやって?って聞けよ」

ゆり「どうやって?」

菫「『気迫』だ」
    「俺は2枚目、あたしは美人。自分の敵は自分より上
  のやつだけ。自信たっぷりなんでも堂々。
  実績積みながらこのボルテージを保つにエネルギ
  ーいるんだぜ。タナボタ期待してのべったらとい
  じけてるやつなんて、バカにしてどこが悪い!」

ちょっとこれ、少女漫画としてはなかなか異端なセリフですよね。普通なら「そんなことない、ブスなんかじゃない、いいところあるよ、自分なんてたまたまキレイに産まれただけだ」的なセリフが続くところ。

吉村明美の作品に共通するのが、女性として、男性として、ひいては人として全うであるってどういう事なのか?という事。

ゆりは「友人」と思っていた人が実は裏ではひどい事を言っていたのを知ったりします。
自己肯定感が低いと、つい少し優しくされたりしたらそれが友情だと思ってしまう。
あれ?って思っても、「きっと今は機嫌がわるいんだ」とか、「自分が悪かったのかな」とうやむやにしてしまう。

そんなゆりが、裏表のない姉兄に囲まれて過ごしながら本当に自分を大切にしてくれる人間関係を築くには、自分が自分を信じて大切にする、自尊心を身につける事である、それを理解しながら本来の彼女の強さが周りに影響を与えていきます。

この物語、とても丁寧な描かれているので文庫本にしても9巻あるのですが、最初はゆりの事を「こんな裏表もわかんないようなブスが俺の妹な訳がない!」と言っていた菫が変化していきます。

そんな色々があってのこちら。



セリフだけさらっと読むと、少女漫画!
女子悶絶ではないかと。
実際にゆりが頑張って痩せてキレイになったりするのですが、それで終わりではないのがこの漫画の最大の核であり、作者のテーマです。
(ぜひ読んでいただきたいので、ネタバレいたしませんが)

もうこのセリフ、無茶苦茶いいですよね?
「すんげえいい女」って、こんなかっこいいお兄さんに惚れられたら頑張って釣り合うように努力するって事か⁈と一瞬思ってしまいますが、そこじゃない。

「この俺を惚れさせるくらいの(既に)『いい女』なんだから、さらに俺が本気出して愛情注いだらもっと『いい女』になる」

キレイでいるのは努力と気迫。

だけど「愛情を注がれているかどうか」でその美しさはただ緊張感だけを持って保っているものなのか、豊かな感情の現れの結果になるのか。

私達が日頃目にする「美しい」とされる芸能人やセレブリティでもありますよね?
「なんだか最近幸せそうに見えないけど、どうしたんだろう?」などと思うこと。

真に他人に丸ごと受け入れてもらう、って一生に一度あれば僥倖だ、くらいに思っています。
ただの自堕落までをも受け入れさせるのは全くもって勘違いですが。

吉村明美作品の魅力の一つに、「筋を通す」というのがあります。嫌われたくないがために八方美人になったり二枚舌になったりして結局は周囲を傷つけるような人間を良しとしない、そんなものになるくらいなら「嫌われて結構!」という強さ。

北の大地の美しさや厳しさを背景にした、極上の物語です。

吉村明美の代表作、「麒麟館グラフィティー」も是非。
古い作品なので、時代性とテーマもあって暗めです。
弱者とされるヒロインが夫の今でいう、パワハラ、モラハラ、DVから抜け出すために自立する物語ですが、真に自立すべきは夫である男性の方だ、という事もテーマになっています。

そう、女性も男性も自らを頼みに自立している事で、
対等な関係を築くからこそ、大切な人を守れる強さを得られるのだと思います。






同じ北の大地のガリレオガリレイ。
この曲を聞くと「麒麟館グラフィティー」のストーリーを思い出します。