共有して初めて意味がうまれるんだ。
愛のようにね。」
観るのがもったいないなー、と保存したままだった
エドワード・フレンケルの「白熱教室」を観たのですが。
改めて、数学者とか理論物理学者ほどロマンティックな人種はいないと。
理科系の分野に馴染みがない方には、「ロマンティック」と言えば作家や芸術家を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
もちろん彼等もそうなのですが、「内なる情熱」の表出の仕方がまるで違うんですよね。
「センスオブワンダー」、未知なるものの秘密を、真実を知りたい、世界を理解したいという欲求。
かたや、自身の内側には閉じ込めておけない「何か」を様々な表現で世界に提示したいという欲求。
どちらが優れている、という訳ではないのですが、
「The truth 」でも書いた数学者や物理学者の、「ひとつしかないはずの真理という聖杯」を探し求める原動力はロマンティックな心理傾向だったり、ピュアな性質なのだと思うのです。(が故に、金融業界を混乱に叩き込んだ訳ですが)
とりわけ数学者は、数式が「エレガント」である事を好みます。
実際、「真理」と言われるようなものを表す数式はシンプルで美しいものであることが多いです。
それに対して、総じて芸術家は自身の闇や混沌をこそ表現に落とし込んで型を与え、私達に表してみせます。(これもまた彼等にとっての「浄化=purification」でもある事を思えば、方向性の違いがわかるような)
で、混沌も芸術も好きですが、やはりどちらかと言えば、いつ辿り着けるかもわからない「真理」を求める研究者たち、とりわけ数学者と理論物理学者に心惹かれるのです。
その数学を統一(いろいろあるんですよね、数論とか幾何学とか
)して、さらには物理学とも結びつけていく事でこの世界の真理に辿り着こうとする取り組みを行っている1人が、エドワード・フレンケル教授です。
)して、さらには物理学とも結びつけていく事でこの世界の真理に辿り着こうとする取り組みを行っている1人が、エドワード・フレンケル教授です。その講義がさすが「白熱教室」、素晴らしくてその中で彼が言っていたのが冒頭の言葉」。
これはすごい言葉だと。
ある意味「愛」の「真理」ですよね。
講義については色々書きたいところですが、日本人としてはやはりこれについて。
3回めの講義の中核になるのが「フェルマーの定理」。
この難問についてのサイモン・シンのノンフィクションは日本でもベストセラーになったので、ご存知の方も多いかと。
そのフェルマーの定理を解く大きなきっかけになるのが日本の数学者達の「谷山-志村予想」。
ここまでは知っていたのですが、エドワード・フレンケルという人の心の豊かさや優しさを感じるのが、谷山と志村の人物に時間を割いて触れるのです。
谷山豊は31歳という若さで、自死します。
その時の遺書が心を締めつけられます。
wikiから。
「昨日まで、自殺しようという明確な意思があったわけではない。 ただ、最近僕がかなり疲れて居、 また神経もかなり参っていることに気付いていた人は少なくないと思う。 自殺の原因について、明確なことは自分でもよくわからないが、 何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。 ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ。 僕の自殺が、或る程度の迷惑あるいは打撃となるような人も居るかもしれない。 このことが、その将来に暗いかげを落とすことにならないようにと、心から願うほかない。 いずれにせよ、これが一種の背信行為であることは否定できないが、 今までわがままを通してきたついでに、最後のわがままとして許してほしい。」
仕事への、周囲への、家族への、そして「数学」への
「責任」にあまりにも真摯に応えようとしたのだろうかと想像します。
婚約者も後を追って2週間後に亡くなります。
その谷山の遺志を継いだ志村の言葉。
志村は谷山についてこうも言っています。
「谷山はたくさんの間違いを犯す、それもたいていは正しい方向に間違うという特別な才能に恵まれていた。私はそれがうらやましく、真似してみようとしたが無駄だった。そうしてわかったのは、良い間違いを犯すのは非常に難しいということだった。」
数学者として認めてもらうには、30歳までに業績をあげる事だと言われます。
能力のピークだと。
谷山がそれを感じていたのかどうか。
他者が羨む才に恵まれても、彼自身の目指す高みには至らないと感じたのか。
そしてフレンケル教授は最後の講義で語ります。
「数式に特許は与えられない。なぜなら全ての人に開かれる事で、世界の真理に辿り着けるのだから。
そして数学を学ぶ事は誰からも制限される事はない。
全ての人が学べるんだ。」と。
フレンケル教授は旧ソビエト出身で、モスクワ大学の試験に全問正解するも、父親がユダヤ人であるという理由で不合格になります。
第1志望ではない大学に通いながらも、純粋数学の勉強を続け、運良くソビエト国外に出た論文が認められてハーバードに招聘されるという経歴の人です。
だからこそ、数式の向こうの研究者達の人生や、残した言葉を掬い上げずにはいられないのかもしれません。
I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
Isaac Newton
Isaac Newton


