2011年の放映後、学者まで巻き込んで社会現象となったアニメ「魔法少女 まどか☆マギカ」。
当時はあまりにも語られすぎていたのと、魔法少女に食指が動かず見ていなかったのですが(体調不良真っ最中だったこともあり)、6年くらい前に職場の若い女子にお勧めされて観てみました。
ストーリーや作画スタイルなんかは語り尽くされているのであまり触れませんが、「少女の魔法は何を叶えるためにあるのか?」をみている方が辛くなるほど突き詰めて作られた物語です。
そんな「まどマギ」が今再放送されていて、また見ているのですが、冒頭のセリフ。
「魔法少女」になって「魔女」を退治する契約をむすべば、(ある意味「対峙する」のですが)「ひとつだけ」望みを叶えてもらえます。
失敗すれば命を落とすかもしれない、または魔女になってしまうかもしれない、しかも戦いは孤独である。
それを引き受けてでも叶えたい「たったひとつの願い」。
主人公のまどかは、心の優しい、善悪に対して真っ当な感覚を持った、だからこそ迷い惑いながら目の前で起こる悲劇を受け止めていくキャラクターとして描かれます。
親友が「願い」を叶えるために魔法少女として契約をしたけれど、彼女には助ける力がない。
すでに魔法少女として戦い続けてきた、ほむらに力になってほしいと頼むのですが、魔法少女になるという事は願いを叶えるかわりに全てを諦める事なのだ、と諭されます。
そこまでして叶えたい「たったひとつの願い」なんて自分にあるだろうか?と。
きっと、大切な人が脅威に晒されるような状況にになるまで、他の事を諦めるにはいたらないだろうと。
(大人の詭弁みたいな言い方をすれば、「世界平和」を願います。全てが含まれる集合である「世界」が「平和」なら、みんなが幸せになれるはず、と。ただし自分は含まれませんが)
最終的にまどかは、世界の理すら変える願いと引き換えに魔法少女になります。
この選択の凄さがこの物語を傑作にし、人々の琴線に触れる作品にしたのです。
少女特有の潔癖さと、ひたむきさと、アンバランスなセクシュアリティをSFの枠組みを使って描き出していて、見るたびに考えさせられてしまう物語です。
キュウべえ、などという牧歌的な緩い名前からは想像もできない「搾取者」。
彼らの種が生き残るために、魔法少女のエネルギーを得るのが目的です。
インキュベーター、孵卵器の役割。
「君たちはいつもそうだね。
事実をありのままに伝えると、決まって同じ反応をする。わけがわからないよ。
どうして人間はそんなに魂の在り処にこだわるんだい?」
「わけがわからないよ」未だに使われますねぇ。
