自由は買えるのか? | 日々是一進一退

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20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

「人間の理性とは合理主義者が想定するように特定の個人に宿るものではない。
   
理性とは人と人との関わり合いの過程から生まれるものである。

他人の能力や行動を裁く資格など誰にもない。」


全文同意。


この言葉、フリードリヒ・ハイエクのものです。

経済学ってさっぱりなので、ハイエクと言えば「経済学者で自由主義の守護者」くらいのいい加減な知識(とも言えない汗)だったのですが、最近経済関係のドキュメンタリーを続けて見ていて知りました。

wikiから。

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクFriedrich August von Hayek [ˈha͜i ɛk][1]1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリアウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学政治哲学法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄にあたる。」

いやー、まさに「多岐に渡る」。

経済学って私には謎の多い学問で、数学とか物理みたいに「真理」とか「真実」があるんだろうか?っていう疑問がずっとあるのです。

“The Truth”でも書きましたけど、絶対的なものもほとんどないんじゃないか、ましてや未来を予測するのは無理なんじゃないか?と。

気象もですが、あまりに関わるファクターが多すぎて、さらに「人」の関わる事ですから、「定理」なんてみつからないと思うのです。

それでも、なんというかまだまだピュアな、ある種性善説(嫌いじゃないです)に基づいた、もしくは数学に基づいた「予測できる」派もいるのですよね。

たしかに、過去に学ぶことは出来るかも?とも考えてはみたのですが、ことお金に関すると学べているようには見えないのです。

ハイエクは「人は時に聡明で、時に愚かでもある」とも言っています。
聡明な人と愚かな人がいるのでなく。

やっぱり様々な学問を、それもそれぞれが傑出しているレベルの人が深い思考を持って導く言葉は凄いなと。
さらに言えば、「人」というものを高くも低くも見ない、という視点も凡百の学者とは一線を画すのだなと。

お金がたくさんあれば自由になれるのか?
買える自由もたくさんあります。

テクノロジーは自由を与えてくれたのか?
様々な情報に瞬時にアクセスできるし、肉体労働だって減っているし、寿命だって長くなっています。
(これらもお金で買えたりします)

ですが、自分を省みても、労働に対する報酬が見合っている実感もなく、それどころか心身をすり減らしていたり、テクノロジーが無ければ途端に生活が成り立たなくなります。

全くもって「自由」とは言いがたいです。

本来は「お金」も「テクノロジー」も人と人との関係性から産まれたもののはずです。

それがあまりにも過剰に、オーバースペックになりすぎた結果、人が操られてすらいるような時代に、先人の言葉を振り返りながら現在を考えるのは重要だと改めて感じさせてくれた言葉です。



全く関係の無い写真を上げるスタイルなのか?
先日の晩御飯。
お蕎麦にアボカド、きゅうりを味噌やらなんやらで和えてます。
認知症予防にいい食材らしいです。
なかなかいけましたよーニコニコ