窯変 | 日々是一進一退

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20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

陶芸にはさっぱり詳しくないのですが、小学生の頃の1年間だけ陶芸クラブにいたことがあり。

もちろん簡単なもので、釉薬塗るレベルが限界でしたが、最初に想定したものとは全然違う仕上がりになったりして、面白さと難しさは何となく理解できた、という程度の経験です。

このところ、「人はどんな事で考え方や生き方を変えたり、変わったりするのだろう?」と考えていて、
ブロガーのKikiさんも記事で「変わること」について書かれているものを目にしたりしつつ(記事、やはりというか考えさせられる事が多いのです)、浮かんだ言葉が「窯変」でした。

詳しいかたからすると、理解が間違っているかもですが、陶芸の過程で窯に入れて熱を加える事で、色が変化していく。
ある程度の予測は出来ても「偶然性」に仕上がりは左右され、その偶然の結果すらも作品である、と捉えているのですが。

熱が加わる事で起こる化学反応の結果としての、
意図しない「窯変」の先にある美しさ。

人も同じだと思っていて、自ら望んで、予測の上で手に入ったように見える結果も変化も、ほんとは計算しきれないファクターが多すぎて時間軸も考えたら、やはり予測は不可能だと思いますから、「偶然性」の結果だと思うのです。

ですが、頑なに変わりたくないと考えていれば、
強制される事でもなければ窯にすら入らない。

変わらないだけなら良いかもしれませんが、人間って有機物ですから、変容が退化や老化になる事は必至です。(無機物だって経年劣化しますが)

予測不可能な窯の中に飛び込んで、自らがどんな化学反応を起こすのか、その先にどんなトランスフォームした自分に出会えるのか?と私などは興味を持ってしまいます。

人との出会いや、本との出会い、土地や芸術や、目にするもの、耳に入るもの、心に響くものがどんな風に自分を変化させるのか?

若い頃に、「絶対」と思っていた事も今では必ずしもそう思わなくなっている自分がいます。

単純な「成長」や「進化」なんかじゃなくていいのです。
触れ合ったり、摩擦を起こしたり、その都度自分が受け止めたり吸収したり、または受け入れないこと。

そんな予測しきれない様々な化学反応が、今まで知らなかった自分を見せてくれるのなら、私は一生楽しめる気がするのです。


それぞれ違うコンビニでクジをひいたら、いただきましたニコニコ

嬉しい反面、「ここでクジ運を使っちまうのか⁈」的な_| ̄|○

ラスベガスには中々行けない今、サマージャンボしかないんですよ?私の人生の一発逆転はガーン

昔はラスベガスから会社にファックスで、
「退社願い」送ってやるとか言ってましたが、
今ならラインで送ってやろうかと思います。