「毒婦」と「femme fatale」の間 | 日々是一進一退

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20年以上接客業に携わってきました。
その前は公務員をちらりと。
接客メインで書こうとしておりましたが、すっかり四方山話になっております。

事件当時はかなりの関心を集めた、木嶋佳苗が3度目の獄中結婚をしたとニュースになりました。


もう手放してますが、こちらともう1冊くらい読んだかなー。「別海から来た女」だったかな。

事件そのものも、杜撰で陳腐なのに、底なし沼のような気持ちの悪さが同居していて世間の耳目を集めたのだと思います。

とりわけ同性である女性たちは、「納得のいかなさ」を感じたんではないかと。

異性を虜にするのがルックスだけではないにせよ、
才能や人格のユニークさといった、「彼女なら仕方ないよね」というものが木嶋佳苗には見当たらない。

よく言われる、「鈴を鳴らすような声」や、「肌の美しさ」、「美しい字」や「教養を感じさせる文章」。

声と肌はわかりませんが、(肌は食生活考えると、かなり糖化してたるみが出ていそうな気がしますが)、文字と文章に関しては、以前整体のお兄さん(の話をすると
「お兄さん何者⁈」と色んな人にいわれます笑)から、
木嶋佳苗のブログありますよーと教えられて読んだのですが、「え、このくらいでそんなに評価してもらえるの?」という感じで。

彼女自身は、教養もあって美しさも備えて、料理のスキルも高く、男性を喜ばせる事ができる、そんな稀有な存在の自分なら当然、住まいも口にするものも身に付けるものも一流のものであるはずだ、という認識から1歩も出る気がないまま一生を終えるのだろうと思います。

でもその「一流」が、「池袋」に住んで「ベンツ」に乗る事だったりするあたりが、同性からすると「何でこんなのに引っかかっちゃうんだ汗」としか思えないのです。

なぜせめて「白金」で「マイバッハ」じゃないんだ?って。

すべてが薄っぺらく感じてしまいます。

「femme fatale」がイメージさせる「業」の様なものに身も心も絡めとられるような、文学的なものじゃなくて、ただの欲求を満たし続けるようなチープさしか感じられないのです。

そんなものに、出会ってしまって人生を終わらせられてしまった人がいる傍、妻子と別れて結婚を選ぶ人もいて。

本当のところは他人にはわかりません。

などと考えていたところに、久しぶりの小保方さんの話題が上がっていて。

彼女も本来の実力以上に、自分は評価されて様々なものを得られるべきであると信じて疑わなかった人なんだろうと思います。
こちらも亡くなった人がいます。

女性に限りませんが、「自分は望んだものを与えられるべき人間である」と考えている人の欲望は本当に終わりがなくて、空虚なんだろうなと。

3度目の方は、将来的に上手く行かなくなっても(彼女のようなタイプが3回で終わると思えないので)、手記なり何なり出版できるでしょうし、死刑囚ですから身の危険も無いかもしれませんが、深入りなさらない方がいいんじゃないかな、と今更でしょうけど思ってしまいます。

木嶋佳苗といい、小保方晴子といい、わかりやすい欲望は洗練や奥行きとは相容れないのだな、だからこそ気を許す男性が後を絶たないのかも、というのが私の感想です。



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ブロガーのばんびさんからいただきましたニコニコ
プリザーブドフラワー、色合いがフェミニンで私に足りない女子力を補給。

「毒婦」にも「femme fatale」にもなれませんねぇ。