同列を表す並列ではなく。
女性である、という集合として。
以前からちょこちょこと、女性である生きにくさ、という事を書いていて、エヴァの女性キャラクターと男性キャラクターの描かれ方にまさに表れているなー、何てこともちらりと書いていたのですが。
と、明確に感じたのは劇場版「Q」です。
テレビシリーズを観た頃とっくに大人でミサトさんとほぼ同い年として、ミサトさん目線で観てました。
そしてアスカにレイ。
各種オカルト(心霊除く
)好きですから、エヴァの死海文書だの生命樹だの使徒だのはまりましたねぇ。
)好きですから、エヴァの死海文書だの生命樹だの使徒だのはまりましたねぇ。庵野秀明のキッチュなセンスと洗練された美意識の混ざりっぷりも素晴らしく。
だって人型決戦兵器(決戦なんていれてくるベタさもさすが)なのに、ビースト化ですよ?
インターフェースも徹底してスタイリッシュなのに、ビースト始め、神経回路だのなんだの生物の生々しさをばんばん放り込んでくるあたり。
(今再放送やっていて、別のチャンネルに変えたら通販でBOSEのプレイヤーの紹介、かけてた曲が“Fly me to the moon”、ナイスアシストかっ?!とか思っちゃいましたね)
そこを語っていたらすすまない。
テレビシリーズを観て、劇場版もすべて劇場に行き、富士急コラボのホテルのエヴァ部屋にも泊まり、最後まで付き合う所存ですよ。
そして思うのです。
エヴァには日本の女性の生きづらさがげんなりする程くっきり描かれていると。
女性が働く、あるいは務めを果たすって事のしんどさを。
だらだら書きますから、本日はこのあたりで
ヒラリーさんもまた、女性である面倒くささをうんざりするほど味わってきたであろうと思います。
