森羅万象、自然発生した生物にひとつとして同じものはありません。
人間だってそう。
ちなみに、と早くも脱線ですが、顔の皮膚に存在する常在菌(すごい種類がいるらしいです)の組み合わせは同じ組み合わせになる事がないそうで、アメリカのとある博物館では来館者のボランティアに採取させてもらっているそうです。(昔、シャネルのスキンケアで皮膚の常在菌にアプローチするというのがあって、さすがー、と思いました)
で。自分という存在は自分だけである。
これは単なる事実。
「自分は特別で何物にも代え難い存在である」となると急に危うくなります。
特別ってどうあれば特別❓
みんなと変わらない❓
代え難い❓
今仲良くしてくれている人も、私がいなくなったら別の誰かと仲良くなるよね❓
なぜこんな事を書き始めたか

接客業であるという事と、自分自身の関心から承認欲求のテーマは多くなるんですが、いやーすごいな、と思ったのがこのアメブロの星占い。
「まさぴーさんの今日の1日は〜」、と私は獅子座ですが、獅子座さんはみんな以下同文。
にもかかわらず、自分の名前が入るだけでこんなにパーソナルタッチな文章になるんだなーと。
Amazonのお買い物も「まさぴーさんにおすすめ」なんて出ますが、自分の名前を呼ばれる事って「唯一無二のあなたに話しかけてるんだよ」っていう気持ちになるんだなーと。
私は人の顔と名前を覚えるのがほんとに苦手です

前にも書いた気がしますが、相貌失認症だっけかな?ブラッド・ピットと同じ病ですよ、側頭葉やられてると思います
ですが、名前を覚えるのが得意な人って売り上げもいいんですよね。そりゃそうです。
お店に来てすぐ「まさぴー様こんにちは!」と言われれば、歓迎されてるんだなと思えますもんね。
ダイレクトメールなんかで、漢字を間違え送られるととたんにげんなりするのは、名前が「この世にひとりだけの自分」を決定づける大きな条件だからなんだなと。
とはいえ、読めないからこそオンリーワン❗️なDQNネームは無しです。教育や医療現場でこまられてるんでは。
別に日本人らしい名前じゃなくてもいいんじゃないかと思いますが、読めないはさすがに

コナン呼ばないと無理、みたいなの多すぎです。
人口がひたすら増えて、グローバルだなんだと、世界規模で考えると何だか埋没するような恐怖感なんでしょうか?名前だけでもスペシャル?
単なる悪目立ちです。みんながDQNでキラキラしちゃったら一緒ですし。
自分がただ自分として揺るがず生きていくって、ますますの情報社会で無理ゲーになる一方です。
自分の全てを対象者にささげる事で自分の存在を感じる、読んでいて理解しがたくも、また息苦しくも感じる本です。
ただ、筆者の女性に対する認識がいささか古臭いのが残念です。
